霊媒師クマリという女

サンスクリット語で処女や少女という意味を持ち、生きた神として祀られることもある存在のことを「クマリ」と言う。 生きているうちに、占い師に会う人は沢山いるのだろうけれど、霊媒師に会う人はそんなにいないのではないだろうか。 私が20代前半だった時、クマリという40代中頃の女性に出会った。バリバリの関西弁を話し、成人した4人の子供がおり、DVの末に離婚している女性だった。誰とでも気さくに話す彼女は、いわゆる霊が見える/感じる人らしく自分に霊をおろして、体が震え、低い声で英語を話したりしていた。 不気味な話である。笑 当時、私はすごく彼女に興味をもった。彼女は将来のことを占うことはできず(本人曰くやってないし、やったところで占いは意味がないとのことで)、過去のことを言い当てることができた。私が過去にどんな経験をし、それによってどんな思いをしてきたかを、まるで映像が見えるかのように彼女は私に説明し「こうだったでしょ?」と言った。それらはその通りで、私は驚いた。 彼女の仕事は、悪霊という、(彼女曰く)誰の心の隅にも存在する悪い習慣を持ち、その体の主に悪影響を及ぼす霊を取り払い、本来のその人自身を生きて人生の目的を果たすための助けをしているということだった。 出会った当初から彼女が霊感のある人であることはわかった。その頃は普通の感じのいい人だったけれど、のちに自分の霊感をどんどんがめついビジネスに変えていった彼女は、最終的に自分をグル(指導者、教師という意味)と呼びなさいというようになった。 彼女の両親は日本人であるが、魂の親はインド人であって、そのインド人のお父さんが自分に乗り移るというシーンを私はよく見てきたし、彼女も「父がこう言っている」とよく主張していた。 ばっかじゃねーの?え、なにその話?と思うかもしれないけれど笑、私は彼女の悪霊払いの力(いわゆる霊能力)も彼女の言葉も信頼していた。 子どもの頃から「神様はきっといる」「科学的に証明できない力や存在は確かにあり、この世界や人生を構成しているのではないか」と思ったり父が亡くなっていたことで「霊に会ってみたい」と思ったりしていた私にとって、彼女の能力や話す言葉は魅力的だった。 私を知る人はよくこの形容詞を用いてくれるのだけれど、私はすごく「好奇心が強い」と思う。ムカつく人や合わない人と出会っても関わらないようにすると言うより、「なんでそう思うんだろう?」と知ってみたい欲が勝る。子供の頃から母に質問すると、「なんでって聞かれても知らないわよ。変な質問してこないでよ。笑」と、しょっちゅう困らせていた。 認識として、自分には人生に対する大きな欠乏感があったというよりも人間の本能に則した未知に対する興味と疑問の餓え渇きを満たすものに、その時まだ出会っていなかった。 クマリは、とてもユーモアがあり、ウィットに富んだ会話もでき、知性もあり、思いやりのある人だった。 私の心の中の理解されにくい感情や、生死への疑問を彼女は、優しく、興味深く答え、私を慰め、励ましてくれた。それは彼女の周りにいる人たちに対してもそうだった。それが一時的な振る舞いだったとしても、非常に親身であった。 また彼女は母親として、自分の子供たちのことをとても健全に愛し誇りに思っており、子供たちと友人のような信頼関係を築いていたし、子供たちも彼女をえらく尊敬していた。 そして彼女の生い立ちは、かなり過酷で、今だに私が知り得る人々の中でもトップに入るくらいハードな人生を歩んできたのではないかと思う。彼女の言葉や振る舞いには、だからこそのしなやかな強さや思慮深さや暖かさがあるように、私は感じ受けていた。 心のキャッチボールが上手く、投げてほしいところに投げてほしい時に投げてほしい球を投げてくる、そんな人だった。 あれから10年以上経つし、その間私自身すごく色々な人に出会い、様々な関係を築いてきたけれど彼女は人の心に入ってくるのが一際上手だった。(声も印象的で、澄んで通る綺麗な声だった。時代に合わないソバージュの髪型やファッション、話すことは関西のおばちゃん感が満載だったけれど…。) 彼女を詐欺師だと言えば、そうだと思う。どこまでが本当だったかなんて知らない。 けれど生い立ちを含む素性まで簡単に嘘をついて偽ることに徹していた人ではなく、本当に霊がわかる人であり、本当に霊媒師としての能力があり、それゆえに高慢に変わっていった人なのではないかと推測している。 余談だけれど、私は彼女を可哀想に思う。霊を扱っているように見えて、完全に霊に遊ばれ、霊の奴隷になっているからだ。霊がわかる人、感じる人は沢山いると思う。けれど、謙虚に付き合わなければ主導権を握られてしまうものだと言うことが、今はわかる。 私はこの出会いと、そこから始まる不思議で「普通」とは言い難い経験と新しい数人との出会いを通じて、人は老若男女、霊の世界に興味があって、真理を知りたくて、自分らしさを100%発揮しながら人生を謳歌したいと願っているということを身をもって知った。 そして、こうやって仕事を得る人もいるんだということや、悪霊の存在も。(ちなみに、悪霊払いの話しをすると、「それはヤラセだ」と友人に言われてきたけれど、そうではなく、まじでエグゾジストみたいな現象を見た。これは彼女が私(や、他の人)に恐怖を植え付けるために見せたのではなく事実としてアクシデント的に見てしまったもので、虚像ではない。) で、結論として何が言いたいかというと、真理を知るのにお金はいらない。自分らしく生きるのに、誰かや何かを頼ったり、遠回りは必要ない。 今自分が好きなことに対し誠実に100%で生きていくことが、最大の魔除けであり、真理に生きるために必要なことである。 そしてその自分もこの世界も悪霊さえをも完全に司っているのは、聖書の神である。この神に出会う過程にこの出会いがあったからこそ、理解できること、経験が知恵に昇華したこと、闇雲に霊的な存在を否定/嫌煙したり美化したりしないことなど、実体験の学びによって、聖書の辻褄が合うと思うことがすごく沢山ある。

人生の法則の中にある復活の希望

すべてが終わり、壊れたと実感する時を多かれ少なかれ誰しも経験する。壊れて失ったものが、自分の腕の中で大切に育んできたものなら、その代わりに大きな悲しみを抱かなければいけない時間がある。その時間は、人や物事によって違う。何分か何時間かで解放される人もいれば、何ヶ月か何年も時間を要する物事もある。 あるいは、もうどうでもいいはずなのに、何かががきっかけで思い出すこともある。 「手放せばいい」とはよく言ったものでそれが自分の意思かどうかは関係なく、一度抱いたものを引き剥がすのは難しい。疑問や悲しみが湧き上がり、感情の整理が間に合わず、答え合わせに苦しむのである。 一生元に戻らないと理解しているにも関わらず、手放すことがなかなかできない。 なぜか? (それは大切な人の急死であっても、憎むような事件であっても、)苦しんでいるにもかかわらず、その感情や経験、あるいは関係を手放したら、大切な自分の一部を失う気がするからだ。だから痛いしこわい。本当はそんなことはないのだけれど…。むしろそれを失った方が自分らしく身軽になれることがほとんどかもしれない。 脳は習慣に依存/帰属する習性があるので、そこから変化することを決めるのは一般的に難しい。でも、このような絶望的な大きな変化のことを「強制終了」と言って、「もうその生き方/考え方をやめなさい」という自由がきたサインだと謳う人は昔から多い。 大ピンチこそ、大チャンス。 そしてこれは本当にそうだと思う。自然の摂理というか、一般的な恩恵として、多くの人がこの人生の法則を知っている。それが真実であるなら、いつまでも悲嘆に暮れているのはタイムロスでしかない。 ただ、そうやって自分や周囲が「タイムロス」と思っている時間こそ、貴重なリカバリー期間であり、自分を取り戻して新しいチャプターを開くために必要な調整時期なのだと思う。 不死鳥は、自ら炎の中へ死に行き、もう一度生まれる。燻っている炎ではなく、ごうごうと燃える炎の中で死に絶え、自ら卵の殻を破り、弱々しくけれど大胆に大きな翼を広げて生まれる。 私たちは「自分の意思」とは思っていなくても、「このままじゃダメだ」という時、物理的には外的要因(自分の望まない道筋)によって、しかしある意味で自ら望んで、燃え盛る炎の中に突っ込んで死にに行くのかもしれない。 そうやって軌道修正しなければならないハードな道を通った人は、必ずその人なりに復活し大成すると、多くの経験者は言う。 知人の東洋算命学の博士曰く、「人生で深い谷を経験する人ほど、その分突出して風に乗って舞い上がる時を迎える。逆にアップダウンのない、平坦な人生の人もいる。けれど、それはそれで退屈かもしれない。これは単なる占いではなく統計学的に、人生にはそのような法則がある」と。 創造美の思想(本来この世界は美しく、戦争などは間違っている/悪であると、自然と思いが湧き上がる)と同じように、復活の希望は、私たちのDNAの中に組まれているのだと思う。 神様が人を創ったのだから、神の法則としてのドラマが人生にあるのは、至極理にかなっている。 だからこそ神を知り信じる者は、 癒えない傷はなく、明けない夜はないことを身をもって経験しながら、神を立体的に喜ぶ者に造りかえられていくのだろう。

人生の価値

今、あることのためにCVを書いているのですが、私が過去にアントレプレナーセンターという会社で公認ゴーストライターとして携わらせていただいた商業出版の数は14冊でした。 約3年+ちょっとの期間で一人の著者(+私)が14冊出版する、しかも著者の仕事は作家業がメインじゃない、そして二人とも全国各地の出張が多いって、驚異的だと改めて思います。 全タイトルと出版社を英語表記で書き換えるためにAmazonを見返していたのですが、なんとまあ、レビュー数が多く、その内容が本当に優しい世界で…素晴らしい…。 本当に人間性の高い受講生様たちや読者様、周囲の方々に恵まれてきたことを心からありがたく振り返っています。 そして、当時20代前半の私、多くの皆様方にゆるされながら優しい世界で働かせていただいてきたな、と実感します。 口の利き方といい、態度といい、生意気だったなー、と。(再会して謝れる方々には謝っています。汗 でもそれ以上に感謝なんだよなあ…) そしてこの会社での経験によって、もっと思うのが、すんごい働いてたな、と。この会社を退職した後も、無茶苦茶頑張ってきたな、と。休みって何?の世界だったな、と。仕事だからって色んな(身内含む)誘いを断りまくるのがデフォルトだったな、と。 努力、忍耐、根性、諦めない、、、、そういう苦しい精神論で自分を律しすぎてきたな。 でもそれは誰のせいでもなく、自分自身がその人生や生き方を受け入れ、生み出し、「そういうものだ」と自分の世界観を創ってきたからだとつくづく思います。 それによって得たことは大きかったけど、へりくだって静観すると、失ったことや逃したことだって同じようにあったことでしょう。 1年前の年末年始にがっつり大変な状態(適応障害と言って、原因の明確な鬱症状)になり、そこからすんごい思うのが、もうがんばんのやめよって。生き方変えよって。強く思っています。 でも一つ言えることは、頑張ってると本当に助けてくださる人がいる。というか、助けてくれた人が本当に本当に多く多く、過去振り返ると必ず現れてきました。(助けてくれることを期待してやっていたわけではなく、がむしゃらでしたが…) だから今度は自分がそういう人、つまり助け支え導く人になろうという心構えでいました。 でも、そういう思いを利用し、一番親しいと思っていた友人に、こちらが苦しいと意思表示をしても助けてくれないどころか、本人の利益のためにもっと追い込んでくるという驚異をこの数年で経験していたことに気づき、そういう人間が存在するのも確かだということを身をもって知りました。 それによって、私が20代で出会ってきた人たちの徳の高さというか受容力って、本当に寛大だったなってつくづく思うのです。。。 でも出会いって選べないから交通事故みたいなものでもあり、その事故からリカバリーする中で、前よりもっと視座が高まり進化が生まれてくるのだと信じています。 その答えが、もう誰かのためとか、夢とか人生のために、がんばんのやめよってこってす。楽しまなくちゃ。喜ばなくちゃ。今この瞬間を。 人生は今にある。今しか人生ではない。(じゃあ過去の話すんな笑)未来のことを期待しても不安に思っても、今にとっては起きていないから価値はないに等しい。過去は終わったことだから、何度思い巡らせても起きたこと以上の意味はない。今、ワクワクすること、今、楽しいこと、今、嬉しいこと、、、 そして 今、悲しいこと、今、苦しいこと、今、痛みを感じること、、、そこに集中し味わい尽くすことが人生を充実して生きる秘訣だと思う。それらは決して刹那的に今が良けりゃそれでなんでもいいということではなく、今を大事に生きるとは、その時々に感じる自分を大切に生きるということ。 そんなことに全身全霊を集中して生きていく時、人生が充実してくると実感します。 今、ここにあるもの。 それが人生の価値。

幸せの価値観

ある人がこう言っていた。「高校の同窓会に行ったら、それぞれに割と壮絶な人生を過ごしていたのがわかった。それで、自分は幸せだなと思った。DVにもあったことがないし、苦しんで離婚してシングルマザーになったわけでもないし、借金で大変な思いをしたこともないし、壮絶な病気や事故を経験したわけでもないし、すごく幸せだなって思った」と、自慢げに話す表情は、勝ち誇っているようにも見えた。 私は思った、この人にとって幸せとは平凡かつ物質的に満たされて、可もなく不可もなく生きることなのだな、と。 起きる出来事や、自分が手にする(あるいは失う)ものによって「幸せ」をはかるのは少し浅はかだと思う。そして、幸せというものは、人と比べるものではないから、DVにあっていようが病気や事故を経験していようが、苦しんだ末シングルマザーでいようが、借金があろうが、幸福度が高い人はたくさんいる。というよりむしろ、そういうことを経験してきた人だからこそ、本当の意味での幸福度は人より高い人が多いように思う。人間としての豊かさや、しなやかな強さが備わっていて、ゆるすとか乗り越えるとかいうことを理解しているからこそ、養われる感受性もあるのだと思う。 私の思う健全な幸福の価値というのは、「社会(親と子という小さなコミュニティも含む)の中で感謝され、感謝する」というエネルギーの交流が生み出されている状態であると思う。(ちなみに感謝という感情は、この宇宙において最高最強の周波数を放つという。) SNSが普及し、容易に不特定多数に対し、自分の容姿や持ち物、時間の使い方や思想発言、仕事の内容、家族や友人などの人間関係などを通して、人生の豊かさや魅力を表現する時代になったと思う。だから安易に人は「この人幸せそう」と思いやすいし、そんな人に対して憧れを抱くのだと思う。わかりやすいから。 けれども、その人がどんな背景を持っているかはわからないどころか、そこにある幸せっぽいものというのは、移ろいやすい刹那的(極めて一時的)なものであることがほとんどではないかな。 幸せの基準をこういうものに乗っ取られてはいけないと、私は思う。自分が幸せだと感じるならそれでいい、という意見もあるし、私もそれに対して異論はない。幸せはいつも自分の心が決める byみつを に、同意である。 けれども、「起きた出来事」「持っているもの」「自分の現在の状態」(英語にすると全てhaveやgetに集約できる)に、真実な幸せの動機を見出すのも違う気がする。 もし今、何かの理由で幸せを感じられない人がいるとしたら、自分にできる小さなことで感謝されたり、自分に起きた小さなことに感謝してみるといいかもしれない。感謝の交流のダイナミクスに入っていく時、私たちは、本当の豊かさや喜びから真実な幸せを感じることができるだろう。 私自身、すごく恵まれているのに「全てに感謝できない時」を経たからこそ、今改めて感謝することの大切さとその根源の大きさを想う。

心理的盲点から学んだ私の改心

苫米地英人氏(脳機能学者)の著作を読んだ。人間には誰しもスコトーマ(=心理的盲点/盲目さ=本当は見えているはずなのに意識/興味が向かない、見えてない)があるという内容から始まる。 このスコトーマは、当人の経験や思考グセからくる思い込みや幻想から発端し、事実を捻じ曲げたり誇張したり過小評価したり、情報の取捨選択を勝手に行う。 現実や事実は同じでも、解釈の違いによってその出来事の意味合いが人によって変わるのはそのためだ。そしてそのスコトーマをズラさない限り、人は成長が遅くなり、機会損失をしたり、落とし穴に落ちるような経験もしかねないのだという。 ではスコトーマはどうやってズラすことができるのかというと、コンフォートゾーンから出るというのが重要らしい。 (コンフォートゾーンは、文字通り自分が居心地がいいと感じる環境、慣れ親しんだ関係、安全だと認識できる心理的範囲のこと。自分に都合のいい生ぬるいものだけでなく、強みを最大限に発揮できる場も、これに当てはまる。) 未知の世界に入る時、再度自分は何者であるかを認識しなおし、そして周りにそれを表明することは、脳の活動にとって非常に刺激的であり、自分を認識する(いわゆる自己愛に通じる)には大切なプロセスであると言える。 面白いことに、スコトーマのほとんどが欠点や弱点によって生まれるのではなく、長所や強みやから生まれる。スコトーマによるビリーフ(信念)が、自分にとって安心や安全を感じながら(それは、一般的に誰もが安心安全であると支持するものではなくても)成功していく機会を作ることもあるのだという。 著書の中に堀江貴文氏がなぜ逮捕されるに至ったかという話があった。堀江氏は回避できたはずのことを周りから散々指摘されていたらしい。けれども、「自分は有能で正しい」というスコトーマが彼をワンマン経営者に至らしめ、結局盲点をつかれた結果監獄送りになったという例話があった。 著者は、このスコトーマをズラすときに、謙虚さは必要ないと言う。ただ客観的に一歩引いて現実と自分の関係、周りの状況を見ることでコンフォートゾーンからいつも離れる意識をし、実際に勇気を持って少し離れるようにする、と。でも心理的に考えて、その行為はまさに「謙虚」であるということが鍵だとわかる。 正直なところ、本当の意味で謙虚な人というのはなかなか出会わない気がする。(自分が謙虚じゃないからか?!)歳を重ねるほど、謙虚っぽい人はいるのだけれど。「自分なんてまだまだです」みたいに、ただ自己卑下するのでもなく、わざと相手を立ててペコペコするのでもなく、本当に等身大のままで謙虚な人が最も強い。 謙虚でいることは、自分を的確に知り、優越感にも劣等感にも浸らずにどこにいても誰といてもそのままの自分でいられるということ、だと思う。謙虚でいるとき、人はリラックスした状態でもっとも勇敢になれる。なぜなら、虚栄心も恐れもなく、ニュートラルな心で柔軟に相手や物事に対して客観的にチャレンジできるから。リラックスした状態の時、人は最大限の力を発揮することができると言われている。(スポーツの世界や音楽の世界では通説ではないだろうか。。。) 私の中に長らくあったスコトーマは、自分は何かをしているから/人の役に立てるから/必要とされるから価値があるという根深い思想だったように思う。有能であれば、多くの人の役に立てる、だから頑張るみたいな不毛のサイクル。 でもそうじゃない。 何もできなくても、役立たずでも、必要とされなくても、人(私)には十分に価値がある。 もし自分が交通事故にあって、本当に今と全く違う生活を送ることになったり、何か病気によって人の役に立つどころか人がいなければ生活することができなくなったりしたら、すぐにそう思えるほど自信はないけれど。。 でも、このスコトーマに隠れている真理は、「あなたは何もしなくても愛されているし、愛されていい存在である」ということだ。 この真理を当たり前のものとして傲慢に捉えるのではなく、謙虚に信じ、ここに立ち続けたい。その瞬間の私たちはもっと自由に、もっとリラックスして、もっと勇敢になれているはずから。 あなたのスコトーマは何ですか?

Website と Blogが出来ました!やった〜!

わ〜い! 「Webサイトないんですか?」「ブログもう再開しないの?」 と聞いてくださる方々がいたのですが、この度ついに完成しました!嬉しい〜〜!!!(私の動き、おそーい。笑) ということで、(これを読んでいるということは、)blogにもWebサイトにも訪問してくださってありがとうございます♡ Webサイトを持たない作家さんが多い中(Xやinstagramで情報発信が主流の現代なので)、活字表現を分かち合いたい私は「Webサイトは、galleryがあってblogもある、(一応、本人が誰かわかるような)シンプルなものがいい。」と思っていました。 そして、その結果素晴らしい方に作っていただきました!!! 物凄く仕事が早くて、(むしろ私のチェックや内容の共有が遅くて告知が今、という…)価格も物凄く良心的で、要点をすぐにわかってくれ、エラーやハッキングを未然に防ぐ対策もしてくれる、物凄くキレる方と、ご縁をいただけて本当に感謝しています。 今でも、私の絵画作品を購入していただけるように設定していますが今後のことも考えて構築してくださっている、という!!! ぜひ、ブログやWebサイトの開設が必要な方は、お知らせくださいね。ご紹介致します。 (早い、安い、提案が的確、(素人の)話の要点もすぐ理解し汲んでくれる。最高ですよね。) 振り返ってみると、個展をするときも最高のタイミングで搬入設営搬出をしてくれる方をご紹介いただき、今年の6月に個展を開催することができました。 その方も、仕事が早く、安く、親身親切丁寧(すごくフレンドリーでもあり!)で、感動しました。 お二人とも、「お願いします=これやってね」ということをこちらが依頼していないのにプラスアルファで動いてくださる、出来男(できお)たちでした。 私のわからない分野なので、こういうのって本当にありがたい。。感謝いっぱい! 「blogでこういうこと書いて」とか「こういうものが見たい」というものがあれば教えてください〜 せっかくここがあるので、instagramはストーリーズ(私生活の共有)を増やそうかな…💭 ※2013年以降に書いていたブログの一部をアップしています〜

手紙という贈り物

昨日、郵便受けを開けるとチラシの中に埋もれてお手紙が入っていた。 見覚えのある、青いインクの万年筆で書かれた丁寧で優しい字。送り主が誰かを見る前に、筆跡でそれがわかった。 改めて、手紙って本当にいいものだと感じる。趣のある、最高のプレゼント。 一文字ずつ書いて思いを言葉に変えて紡いでいくという作業はすごく律儀で、すごく繊細で、すごく貴重で尊い行為。 それを噛みしめながら読むことは、本当に至福の贅沢。 メールと違い、届いたときのときめき、それを手にして封を開けるまでの胸の高鳴り、封を切って取り出したときに裏地から透けている字が見えたときの喜び、一行読み進むごとにどんどん引き込まれて行く臨場感と差出人との呼応感。手紙は本当に素晴らしい。 何度も何度も読み返してしまうのは、差出人の思いがチープではない証拠な気がする。手紙を通して溢れている差出人の思いを汲み切れなくて、何度も何度も読みたくなってしまいのかもしれない。 手紙を書くのは時間がかかる。読むのはその何十分の一に過ぎない。でもきっと、だからこそ手紙には魅力があるのだと思う。思いというものは、思った/感じた瞬間がベストな食べごろであって それを逃すと、まったく違う味に色に形になってしまうし、場合によっては意味を失くし、跡形もなく消えてしまうものだ。 でも手紙はそれを、永遠に近い形で保ったまま相手に届けることができる。(とはいえ限界はもちろんあるけれど) この手紙の趣を、わたしは受け手としても書き手としても、一生大切にしていきたい。 2015年 冬

本当にいたサンタさんの話

わたしが4歳の時のクリスマス。 サンタさんがいつもどおり枕元へプレゼントを置いてくれていたのだけれど、 ポストの中にもあるプレゼントが…。 それは、わたし達姉妹一人ひとりへ、音の出るクリスマスカードのプレゼントだった。 「いちねんかん ほんとうに いいこだったね。あなたはすばらしい。ママのおてつだいしてね。サンタクロースより」わたしへはそんな内容だった。 母は、誰からきたのか探っていて、父親の友達にも「あなたじゃないよね?」と電話で聞いていた。 この話を、わたしが中学生以降友だちにし始めると「それ絶対お母さんの仕業でしょ。ふつーに考えて。演技してただけでしょ」と、よく言われた。でも、違った。母の字ではなかったし、送り主のスタンプは、ある年は東京から、翌年は地方から、またその翌年は海外からの消印だったこともあったから。 その謎のサンタクロースからのクリスマスカードプレゼントは毎年届いた。 その他にも、本好きだった父の読書仲間から絵本を毎年クリスマスに頂いていた。 「今年も来たよ」母がそう言って渡してくれることが本当に嬉しかった。わたしが中学生になる頃、それは送られてこなくなった。わたしの中にも既に、大人の意識が大きく芽吹いていた。 わたしが4歳の時のクリスマス。 それは父が亡くなって初めて迎えたクリスマス。カナダで出会って結婚した両親は、毎年イルミネーションでベランダを飾り(当時はまだそういうことをする世帯が少なくて苦情をもらい笑)、豪勢な手作りのご馳走をつくってケーキを焼いてくれた。 父が亡くなった後も、母は変わらずそれをしてくれた。 毎年来るカードは、父のお友だちがサンタクロースの名前をかりてわたしたち家族を一年に一度、精一杯労ってくれた特別なプレゼントだったのかもしれない。 謎のサンタさんの正体を、結局暴けないまま最後のカードが届いてから14年以上が経った。12月は人の温かみを感じるアンテナが高くなっていて無性に心が嬉しくなることが多い。 わたしはやっぱり、思い入れのつまったクリスマスが大好き。人の心の温かみを感じる、寒い冬が大好き。 2014年 冬

パスポート・・・?!忘れた!

パスポートを忘れて飛行機に乗れないという状況に 遭遇する人は、年間どれくらいいるのだろう。。。 そんなことをぼんやり思いながら、 電車に揺られるわたしは、 JRってこんなにのんびり走るものだったろうかと、妙な錯覚を感じていた。 「絶対間に合う。絶対間に合う!大丈夫、大丈夫…」 そう言い聞かせて羽田空港から1時間弱かかる自宅に引き返していたのだけれど。。。 姉の結婚式のために韓国に向かうわたしは、 あろうことか、パスポートを家に忘れたのであ~る…! しかもそれを羽田の国際線ホームに着た瞬間に思い出したのであ~る! 「え!そうじゃん、乗ろうとしてるの国際線じゃん!!!!ひぇ?!」と。 パスポートを忘れた理由?というか、原因?はいくつかあげられる。 この3年間、以前の仕事の恩恵によって わたしは飛行機や新幹線に乗る機会がかーなーり、多かった。 出張の無い月はなく、必ず毎月キャリーケースを転がしてどこかにお仕事として行かせて頂いていた。 その影響がとても大きく、またスーツケースが今回も小さかったこともあり、 結婚式とは無関係にしなくてはならない仕事があって、 パッキングをしている最中も仕事のことが頭から離れず 重たい資料をキャリーの中に入れ、 ぎりぎりまでPCを持って行こうか悩んでいたこともあり、、、 わたしの頭の中にはすっかりパスポートを持たなくてはならないという概念が抜け落ちていた。 また、韓国人の義兄の親しみ溢れる存在によって韓国があまりにも国内のような感覚になっていた。 時差もないしさ…。2時間で着くしさ…。(東北よりも近いわけでさ・・・) チケットは義兄が購入してくれていたし。。。 羽田空港のホームに着いた瞬間に、 「あ~?なーんかいつもと空港の雰囲気違うなぁ~」と寝ぼけながらふとよぎり、 改札の『国際線ターミナル』という文字を見た瞬間に、 脳みそをかきまぜられているかのように動転した。 「んっ?へ?えええ!?今日わたしの乗る飛行機って、そうだ! 国際線じゃん!韓国って外国じゃん!パスポートない!完全に忘れてた!」 かなり慌てた。 こういうときほど、野比のび太氏に憧れることはない。 「ドラーえもーーーん!」と言って、ホームで大声を張り上げて じたばたしながら大泣きすれば、ドラえもんだろうがドラミちゃんだろうが、 誰かがわたしのパスポートを持ってきてくれるというのなら たとえその場にいる見ず知らずの全員にキチガイだと思われようが、 構わず(むしろ大喜びで)わたしはそれをするだろう。 あーん!ありえなーぃ…と思いながら、 韓国で式を挙げる姉がいるチケットカウンターまで走った。 絶対に怒られると思いつつ「ごめんあいちゃん、パスポート忘れた!」とわたしは焦りながら言った。 姉は思いのほか、あっけらかんとしながらうっすら笑みを浮かべながら返した。 「多分間に合わないから、自分で航空券買ってきて」 そしてキャリーケースを見ながら続けた。 「そのスーツケースの大きさなら手荷物で行けるから置いてきな。持ってってあげる」 そして、「ま、間に合うかもしれないからせいぜいがんばれ。走れ」と。 あまりにあっさりと言うのでわたしは面食らったが、それも姉の優しさのうちだと察した。 どんくさい妹がパスポートを忘れたこと自体を責めたり一緒になって 焦ったりすることもできたわけで。 何てたって、韓国で待つ義兄やそのご両親にご迷惑をかけたくない気持ちもあったろうに。(わたしの中にはこればかりがあった) チェックインは40分前ということを家路の途中でメールをもらい、 「もう無理やー!」と、あきらめた。 いや、正確に言うとあきらめきれず、姉に旅券番号や有効期限など、 自分のパスポート情報をすべてメールで伝えた。 旅慣れている姉がそれをチェックインカウンターの人に伝えてくれた。 そして、最後に。 …

わたしの恩師その1

(わたしには恩師がその2、その3と登場する。その二人のことも今後紹介したい) わたしは質問魔で、よく先生に質問をする学生だった。19歳のあるとき、当時女子ラグビー日本代表のヘッドコーチをしている宮崎先生にこんな質問をした。 「宮崎先生。先生は、わたしたちにどんな社会人になってほしいと願っていますか?」先生は間髪入れずに答えて下さった。「また、この人と一緒に働きたい。一緒に働けなくてもせめてまた会いたい。そう思われるような社会人になってほしいです。そう言う人は、魅力に溢れています。きっと職に困ることがありません」 卒業してから6年目の3月、そうおっしゃっていた先生からお仕事を頂いた。 6年経って、学生と講師という関係性ではなくなっても、未だにお世話になっていることに、感謝が絶えない。 先生がオーダーして下さったお仕事は、先生の愛する地域とラグビーの両方を伝えるものだった。 それに携わらせて頂けたことの歓びは、どんな言葉でも表せることができない。。。本当に本当に、嬉しく有難いこと。。。 当時宮崎先生は、専任講師ではなかったし、1年生の頃はほとんど面識もなく「からだのおっきいせんせいだなー」としか思っていなかった。 でも、たった1年間で、わたしは先生のことが大好きになった。 僕は自分と自分の仕事が大好きだと冷静に淡々と豪語するところ。授業とまったく関係のないことを優雅に語るところ。ご両親を誰よりも尊敬すると言い切るところ。奥さんを愛してやまないと学生の前で褒めちぎるところ。生徒への教育と選手への指導を使い分けて意識しているプロなところ。将来の夢と計画とご自身の文筆を堂々と共有してくださるところ。どんな学生に対しても、来るもの拒まず去るもの追わず、いい距離感を持っているところ。いつもポジティブで穏やかで起伏がまったく感じられないところ。何よりも、ご自分のことが大好きなことが溢れまくっているところ。 先生は学生を一人の人としてリスペクトしながら接してくれていて、それを感じたから好きだったのかもしれない。 先生が周りの方にわたしを紹介するとき、「学生の頃から、ぶっ飛んでます。よく質問してよく考えて、他の学生とはちょっと違う珍しいタイプの学生でした」と言っていた。わたしとしては、どこがぶっ飛んでいたのか、どう他の学生と違ったのかは良くわからないけれど、 よく先生に進路や岐路で相談をしていた。先生は、いつも9割ただ黙って聴いて下さって、的確なことを1割の中にギュッと凝縮して伝えて下さる。 そんな真剣な会話の中で、先生はいつも決まって最後にこれを聞いた。 「鈴木さん、今、お付き合いしている人はいますか?」わたしが答えると、先生は冷静に淡々と、声色を変えずにいつもこう言ってくれた。 「鈴木さんは、笑顔と素直な心がとても素敵です。知性と存在感があって魅力的です。可愛い奥さんになってカッコイイお母さんになります。だから、大丈夫です」当時のわたしとしては、「・・・え、えぇ?!今それ?」と思わず笑って、心が和んだ。 わたしはいつも一つのことに集中すると一切を投げ打って、それにかかりっきりになる。 もしかしたら先生は、ゆとりを持とうよ、人生は目の前で起きてることだけじゃないから大丈夫だよ、と言って下さっていたのかもしれない。考えて意図的に言ったというより、本能からくる直感で言って下さったのかもしれないけれど。(という方が先生には適している気がする。笑) 「宮崎先生!わたし、いつか先生と一緒に仕事が出来るような、そういう社会人になりたいです!頑張ります!楽しみにしていてください!」卒業式の日に、先生にハワイのお土産を渡しながらそう言ったわたしの夢を、わたしではなく先生が6年越しで叶えて下さった。 アントレプレナーセンターとの出会いも、元を辿れば先生のお陰だ。一日10万円の感動ツアーにも招待者として二人で一緒に参加した。 そのアントレプレナーセンターでのエピソード・ゼロは、また別の機会にここに記したいと思う。 宮崎先生、また一緒にお仕事がしたいです。先生こそ、きっと多くの方にそう思われる、魅力溢れる素晴らしい方です。いつも、ありがとうございます。 これからもご指導の程、よろしくお願い致します。 2014 夏