霊媒師クマリという女
サンスクリット語で処女や少女という意味を持ち、生きた神として祀られることもある存在のことを「クマリ」と言う。 生きているうちに、占い師に会う人は沢山いるのだろうけれど、霊媒師に会う人はそんなにいないのではないだろうか。 私が20代前半だった時、クマリという40代中頃の女性に出会った。バリバリの関西弁を話し、成人した4人の子供がおり、DVの末に離婚している女性だった。誰とでも気さくに話す彼女は、いわゆる霊が見える/感じる人らしく自分に霊をおろして、体が震え、低い声で英語を話したりしていた。 不気味な話である。笑 当時、私はすごく彼女に興味をもった。彼女は将来のことを占うことはできず(本人曰くやってないし、やったところで占いは意味がないとのことで)、過去のことを言い当てることができた。私が過去にどんな経験をし、それによってどんな思いをしてきたかを、まるで映像が見えるかのように彼女は私に説明し「こうだったでしょ?」と言った。それらはその通りで、私は驚いた。 彼女の仕事は、悪霊という、(彼女曰く)誰の心の隅にも存在する悪い習慣を持ち、その体の主に悪影響を及ぼす霊を取り払い、本来のその人自身を生きて人生の目的を果たすための助けをしているということだった。 出会った当初から彼女が霊感のある人であることはわかった。その頃は普通の感じのいい人だったけれど、のちに自分の霊感をどんどんがめついビジネスに変えていった彼女は、最終的に自分をグル(指導者、教師という意味)と呼びなさいというようになった。 彼女の両親は日本人であるが、魂の親はインド人であって、そのインド人のお父さんが自分に乗り移るというシーンを私はよく見てきたし、彼女も「父がこう言っている」とよく主張していた。 ばっかじゃねーの?え、なにその話?と思うかもしれないけれど笑、私は彼女の悪霊払いの力(いわゆる霊能力)も彼女の言葉も信頼していた。 子どもの頃から「神様はきっといる」「科学的に証明できない力や存在は確かにあり、この世界や人生を構成しているのではないか」と思ったり父が亡くなっていたことで「霊に会ってみたい」と思ったりしていた私にとって、彼女の能力や話す言葉は魅力的だった。 私を知る人はよくこの形容詞を用いてくれるのだけれど、私はすごく「好奇心が強い」と思う。ムカつく人や合わない人と出会っても関わらないようにすると言うより、「なんでそう思うんだろう?」と知ってみたい欲が勝る。子供の頃から母に質問すると、「なんでって聞かれても知らないわよ。変な質問してこないでよ。笑」と、しょっちゅう困らせていた。 認識として、自分には人生に対する大きな欠乏感があったというよりも人間の本能に則した未知に対する興味と疑問の餓え渇きを満たすものに、その時まだ出会っていなかった。 クマリは、とてもユーモアがあり、ウィットに富んだ会話もでき、知性もあり、思いやりのある人だった。 私の心の中の理解されにくい感情や、生死への疑問を彼女は、優しく、興味深く答え、私を慰め、励ましてくれた。それは彼女の周りにいる人たちに対してもそうだった。それが一時的な振る舞いだったとしても、非常に親身であった。 また彼女は母親として、自分の子供たちのことをとても健全に愛し誇りに思っており、子供たちと友人のような信頼関係を築いていたし、子供たちも彼女をえらく尊敬していた。 そして彼女の生い立ちは、かなり過酷で、今だに私が知り得る人々の中でもトップに入るくらいハードな人生を歩んできたのではないかと思う。彼女の言葉や振る舞いには、だからこそのしなやかな強さや思慮深さや暖かさがあるように、私は感じ受けていた。 心のキャッチボールが上手く、投げてほしいところに投げてほしい時に投げてほしい球を投げてくる、そんな人だった。 あれから10年以上経つし、その間私自身すごく色々な人に出会い、様々な関係を築いてきたけれど彼女は人の心に入ってくるのが一際上手だった。(声も印象的で、澄んで通る綺麗な声だった。時代に合わないソバージュの髪型やファッション、話すことは関西のおばちゃん感が満載だったけれど…。) 彼女を詐欺師だと言えば、そうだと思う。どこまでが本当だったかなんて知らない。 けれど生い立ちを含む素性まで簡単に嘘をついて偽ることに徹していた人ではなく、本当に霊がわかる人であり、本当に霊媒師としての能力があり、それゆえに高慢に変わっていった人なのではないかと推測している。 余談だけれど、私は彼女を可哀想に思う。霊を扱っているように見えて、完全に霊に遊ばれ、霊の奴隷になっているからだ。霊がわかる人、感じる人は沢山いると思う。けれど、謙虚に付き合わなければ主導権を握られてしまうものだと言うことが、今はわかる。 私はこの出会いと、そこから始まる不思議で「普通」とは言い難い経験と新しい数人との出会いを通じて、人は老若男女、霊の世界に興味があって、真理を知りたくて、自分らしさを100%発揮しながら人生を謳歌したいと願っているということを身をもって知った。 そして、こうやって仕事を得る人もいるんだということや、悪霊の存在も。(ちなみに、悪霊払いの話しをすると、「それはヤラセだ」と友人に言われてきたけれど、そうではなく、まじでエグゾジストみたいな現象を見た。これは彼女が私(や、他の人)に恐怖を植え付けるために見せたのではなく事実としてアクシデント的に見てしまったもので、虚像ではない。) で、結論として何が言いたいかというと、真理を知るのにお金はいらない。自分らしく生きるのに、誰かや何かを頼ったり、遠回りは必要ない。 今自分が好きなことに対し誠実に100%で生きていくことが、最大の魔除けであり、真理に生きるために必要なことである。 そしてその自分もこの世界も悪霊さえをも完全に司っているのは、聖書の神である。この神に出会う過程にこの出会いがあったからこそ、理解できること、経験が知恵に昇華したこと、闇雲に霊的な存在を否定/嫌煙したり美化したりしないことなど、実体験の学びによって、聖書の辻褄が合うと思うことがすごく沢山ある。
