artworks

dragon, me , faith. “follow your heart” | Work explanation

This article was translated by AI. Please forgive any mistakes. ーYou can view the full work on my website or Instagram. Since last summer, I had been meaning to paint, but somehow, I couldn’tIt felt as though something inside me was saying, “Wait a little. It will come.” ...
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龍と私と信仰と。|「ついておいで」作品解説

(作品の全体像はwebsiteやinstagramからご覧ください。ブログの最後に本作の待受画像のプレゼント受け取り方法を記載しています) 昨年の夏から、絵を描こうと思いつつ、描けなかった。 「ちょっと待って出てくるから」と言う感覚があった。描きたいアイディアはあるのに、それより先に描くべきものがある感覚があって、 なんだろう?と思っていた。 絵の先生からは、よく「描きたい描きたくないじゃなくて、描くの。とにかくキャンバスに向かうこと」と言われてきた。だからその間、絵本の題材を描いたりもして、何度かキャンバスに向かったのだけれど、何も出てこず、描けなかった。 でもなぜか、焦らなかった。私は、ちょっと待とうと思った。 昨年の秋、大きな墨田川を見下ろす月島の超高層マンションに3ヶ月滞在していた時、父方の実家(と、先祖代々が大事にしていた神社)の近くだった場所に自転車で度々行き、思い出したことがあった。同時にアメリカからのリバースカルチャーショックと、苦痛を経た場所である東京に帰ってきたことで葛藤を覚えながら私はオーシャンスプリングス(私が昨年の夏に滞在していたところ)での日々を回想し、祈り、瞑想していた。 そしてその時というかその頃、子どもの頃からきっと龍が私と共にいたことを思い出した。 子どもの頃、なぜか龍が好きだった。 竜と龍はどう違うのかと辞書を引いたり、龍という字を書きまくったり、私の叔母(父の妹)から、「あなたが男の子だったら、お父さんは龍星(りゅうせい)という名前をつけたがっていた」と言われたことを思い出したり。 そして私の先祖がいた地域も、父のお墓も、弁財天と龍に縁深い場所であった。 私が2年前適応障害になって苦しんでいた時、これからもっと直感や感性が鋭くなっていくような気が漠然としていた。 脳機能について学びわかったのだけれど、精神疾患の人々の多くは五感が衰える。詩的ではなく、実際にこの世界がセピアになったりモノクロになる現象が起こり得る。 私は、暗くなったモノクロの世界の中で龍を感じていた。 暗闇の中に真っ白く光る美しい龍。荘厳な音楽のようでもあり、とってもいい香りを放つ存在。威厳があるのに無邪気で、繊細で優しくて、でも大胆で力強い。真剣だけど遊び心もある、そんな目には見えないエネルギー。顔は見なかったけど、生き生きしていて、喜んでいて、輝いている。 そしてこれを絵にしたいと、思った。これを描いてってことだ、と。 けれども、聖書に”りゅう”(実のところ漢字は龍ではなく、竜である)は、悪の遣いだとか描いてあるので、「クリスチャンは龍なんて描かない」「龍神は偶像であり神ではない」と言う意見も聞いてきたこともあり、描くことに抵抗があった。 でも結局のところ、私は人からどう思われるか、いや、人がどう自分を勝手に裁くのかを気にして、溢れてくるインスピレーションより、制作意欲より、自分で作り出した「幻想の誰か」に恐れ、遠慮していた。 今思うと、馬鹿らしい。芸術は全て、評価されるものだから、批判だって受けるし、誤解だってされる。誰がどう思おうと、私は純度高く私を表現することが大事なのに。 私は過去に自称スピリチュアルリーダーと言う女性に出会ったことがある。彼女は巧みに人の心を利用し、関わる人を不快にすることで不幸にしていた。今思うと彼女はいわゆる低級霊(悪霊の部類)に惑わされていたのだと思う。 けれどもそんな知識はなかったので、聖霊以外の霊は全部人間を惑わす悪いものと認識するようになっていた。そういう教えも影響していた。 でも私は自分の感性、感覚、そして霊性に蓋をしたり、感じなかったことにして嘘をつくのは、自分を傷つけ、窒息するほどの苦しみであると散々実感してきた。 無意識のうちにいつの間にか「宗教」をそうではない何かにする自分や人の愚かさを、もう味わいたくない。 私は、人はみんなサイキックだと思っている。 多かれ少なかれ、筋力があるように、いわゆる霊能力がある、と。なぜなら、誰もがスピリット、マインド、ボディを持って生まれてきているからだ。 スピリットのない人は、存在し得ない。(ゆえに、スピリチュアルを否定できないし、崇めることもできない。筋肉を否定したり崇めることもできないのと同じように。) スピリットこそが、ただニュートラルに本当の答えを知っている。その答えとは、神が愛であり、愛が私たちにも注がれているから私たちは神を慕う存在であると言うこと。 そしてこの源泉(スピリット)に繋がれば繋がるほど、本来の自分として神やこの宇宙を経験し、自分を愛することができる。 私は、唯一の神を信じている。一神教か多神教のどちらを信じるかという議論は私からすると文化について話されている議題であり、神はそんな文化的概念を凌駕する。 だから、多くの日本人が神々と崇めるスピリットの存在も素晴らしいと感じているし、それらのほとんどを悪だとは到底思えない。むしろ、日本を日本にしてきた大切な存在であり想いであり尊厳であるとみている。 そもそも、感謝よりもご利益を求め、崇め奉ることをしすぎることも、祈りよりも念を込めてすがりすぎるのも、神々の側には何の責任もない。それは人間の勝手な幻想と行いであって、神々の側からしたら、そうして欲しいだなんて思っていないだろう。 本来、Divide(区別/分離する)のもJudge(裁く)のも神の役割であって、人がするものではない。 なぜならば、神は統治/統合を願いそれを実践する存在であって、「区別」するのには特有の意志や理由がある時だけだからだ。 聖書(神)はこう言っているからといって、神の権限を人が安易に行使しようとするのは愚かである。 人はただ、神とその被造物である自然や人を知恵深く愛する者として存在しているだけなのだから。 過去の関連記事→ 信仰とは何か。 ・・・・・・・・・・・暗闇の中から白く光る龍は言った。「ついておいで」 私は咄嗟に言い訳をした。「忘れてたわけではなかったの。ただ…」 龍は笑って言った。「大丈夫、全部わかってるよ。ただ、ついておいで」 龍は、音楽のようであり、アロマのようでもある。荘厳で厳しく、繊細で優しい、澄んだエネルギー。・・・・・・・・・ 公式LINE登録で本作の\待ち受け画像をプレゼントしています/https://lin.ee/1GISmT8j ...
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uncertain night | 作品解説

ただ正直に言うと、頭ではわかっていても私はこれを信じることができなかった。 私の信仰はからし種よりも小さいことをわかっている。けれども神様は 「いいよ。もしおまえがからし種の大きさで、 少しでも私を信頼するなら、全てをおまえのために成すよ」と言う。 もし私たちが神の愛と喜びにとどまるなら、私たちは宗教的な行いに一切生きなくていい。 ...
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essential|作品解説

インスタグラムの原文が英語なので、日本語はまた別の文章になるかな…ていうか、長い。笑 人生に不可欠-essentialなものはなんだろうと考えた時、何が出てくるだろう?あるいは何かを失ったら本当に残念に思うこと、悲しむこととはなんだろうと考えるとき、それはあなたにとってなんでしょうか? メンタリングマネジメントと起業家育成のコンサルの仕事をしていた時も、ミニストリーで働く人たちと聖書の学びをしていた時も、多くの人が求めていたのは自分の「人生の目的」と「仕事のやりがい」を結ぶことだった。 そして私たちは「本質的に」自分が何者で、何のために生まれて生きているのかを知りたい存在だと思う。ただ人生を楽しめばいいのではなく、どう楽しめばいいのか、自分らしく喜んで生きるためにはどうすればいいか。その正解を多くの人が求めている。 このブログでも何度も言っているし、本当に私が大切にしたいことなのだけど、私たちは、自分を100%表現し、喜ぶために生きている。「表現する」というと、芸術的なことをイメージする人がいるかもしれないけれど、営業も接客も自己表現の発揮の場だと思うし、家事だってそう。(というか、実際には「存在していること」を超える程の影響力とか自己表現はないのだけれど…この話は深い。) 自分が心地いい自分で在れることを選び、生きることーーー。 一人一人が自分の大好きなことを通して輝くことで周囲の人に希望を与える存在になれることを、昔からずっと信じている。これが私の本質的で不可欠なもの-essentialで、こだわり続けてきた一種の信念だと思う。 がしかし、それに取り組み始めることや、続けることが難しいこともわかっている。 だからこそ、それを実践する人は希望を与える存在なのだと思う。 この絵のインスピレーションになった方は、世界の50ヵ国以上を旅する写真家で彼の雄大でドラマチックな写真を見た時、「やばーい!やっぱ神様ってすごい!」と思った。この世界を造られた神様は、どれほど美しく寛大にこの世界を愛されているのだろうか、と。 でも彼の話を聞いて、もっと驚いた。それは私が人生の本質として大切にしていることを彼も思い、実践し続けている話だったから。 自分の本音に気づいた時や、本当にやりたいことがある時、どれだけ純粋にそれに従って挑戦したりこれまでに大切にしてきたことと決別したりすることができるだろうか。その衝動を正直に受け入れて突き抜けて行動し続けることができるだろうか。 その情熱に従うときや、人とは違う道を歩むとき、人から反対されてもそれを続けようとする時に起きる葛藤や恐怖や孤独がある。けれども、人間の願いは最も自分らしく生きることであり、それができる時、不思議と人生は拓けていくし、会うべく人に会うようになっている。そういう人の生き方は、周りに希望を与える光だと思う。 そして私は、こういう生き方もこういう人と出会うこともまた、人生に不可欠だと信じている。というか、こういう素晴らしい方々に沢山沢山、出会わせてもらってきた人生だった。 また彼もそのような実践家で、彼の人生観と彼の勇敢で大胆で人間らしい心を映し出す、素晴らしい作品を通して、私はとても励まされた。私の大恩師である福島さんの本を読んだ時のような感覚で、「だよね!私もそう思う!」と、大きな共感と尊敬と羨望が湧き上がった。 私は人に名前の意味を聞くのが好きなのだけれど、彼と出会った後に彼と同じ名前の子どもの親戚に、私の絵本にサインが欲しいと言われて名前の意味を聞いたら、キャンドルに纏わる名前だということがわかった。そしてその時、彼の名前と彼のしていることがリンクされ、やっぱり名は体を表す、だなあと思った。 少し話がズレるけれど。。。私は、「分かち合う」ことの本質とは、減るのではなく増えると定義している。分かち合うことの真実は、ケーキではなく蝋燭であると例えている。それは誰かにあげたら減るのではなく、誰かにあげることで増え、暗闇の中にインフルエンスしながら広がっていく希望のようであると。そしてたとえケーキのように物理的に減ったとしても精神的には目には見えない喜びや、共有することの楽しさを私たちは受け取っている。 プロのアーティストでいることの素晴らしさは、自己満足、自己完結しないことだ。上記の彼の写真を見て、彼の話を聞いたときに私はとても感動して、多くの人に彼の作品を見て欲しいと純粋に思った。そうやって発した当人を越えて伝播する希望となるのは、アートの醍醐味であると信じている。それは性別も年代も人種も宗教も習慣も歴史も超えられる。 そして、誰かの心に火を灯し、一人一人がどんどん本質的に輝くことで、暗闇のあるこの世界を明るく彩る光になると信じている。 彼との出会いは、こういった私の信じてること、だけど弱くなる自信に対し、「いや間違ってないよ!ていうか、むしろそうでしょ!それが人生の本質-essential でしょ!」と確信を与えてくれた光だった。この素晴らしいサインにとても喜んで、感謝している。 ...
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beloved | 作品解説

これもまた、元の文章が英語なのでそのまま日本語にすると変になる。。と言うことで、原文(instagram)とは別の表現も含めて書いていきます。 ...
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silent love|作品解説

*instagramは全部英語なので、原文に近いものを日本語で書いています。が、違和感。 ...
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Jとの「物語」|作品解説

(本文の最下部に本作の全体像があります。ウェブサイトにも載せます。そのうち…) 久しぶりに会ったJは、控えめで少し緊張した面持ちで私の個展会場の扉を開けた。私は自分が思いのほか、笑顔で彼を迎えられたことに安堵した。彼に会ったら、泣いてしまうと思っていたから。 ...
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2026 satomi suzuki