3ヶ月の簡単サマライズ!

ブログ更新してなくてごめんなさい〜〜〜!!!3ヶ月アメリカにおりましたが、アメリカからのサーバーへのセキュリティがめんどくさくて、(いちいち解除するのが。)更新できずにいました。ていうか、現地での生活に集中したかったので、ブログは後回しにしました。

今年の夏を決めた最高のアドバイス

今日は私の友人がくれた最高なアドバイスついて、書きたいと思います。とてもユニークで素敵な彼のことは、別の記事で紹介します。彼は、私の来たる2024年の夏が特別なものになるきっかけを作った人です。

ブログを読んでくださる皆様へ

いつも(時々でも、たまたまでも、なんでも笑)、ブログを読んでくださってありがとうございます^^。SNSでの活動?が不精で、実はこのブログが一番高頻度で、「私」をそのまま表現しています。だからもし、定期的にここにご訪問してくださっている方がいれば、すんごくありがとうって伝えたいなと思いまして、今これを書いています。 私の文章って長いからさ笑、最後まで記事読んでる人って…私の親友ちゃんくらいなんじゃないかな。まじで。笑全部読んでるよって方がいれば、ツワモノ認定するんで、教えてください。めちゃ喜びます。へへへ 脱線するけど、私のLINE、心をゆるしている親しい友人には誰に対しても、テキスト長い。この人は特別とか関係なく、基本が長い。(LINEだと字数制限を超えると「つづく」みたいな表記になり、「LINEてこんな機能あるなんてさとみちゃんから長文くるまで知らなかった」と何人の友人から言われたことか。笑) 私の文章表現は、もはやラブレターなんす。あ、繰り返しますが、誰に対しても、です。なので、男性にはなるべく要件のみ伝えようと心がけています。笑 それでね、活字表現って私にとって、とても…心地よく自然なことなんです。 「文才がある」とよくよく言われてきたのだけど、本当は全然そうじゃなくてね。 「フレッシュな感情を、なるべく鮮度そのまま言葉に変換したい」これが私がいつも思っていることなんですね。なので長くなる。くどい文章ではないと思うんですよ。(自分で言うな。ただ、純粋に言葉を通して心の交流を持ちたいんです。言葉というツールを用いて。 「私の声。」というブログにも書きましたが、言葉は人間のみに与えられた、芸術的表現の一つです。それを大切に楽しく、届けたいし受け取りたい。そこに共鳴を感じたい。その願いがいつもあります。 それとよく、「絵は描いてるの?」と聞かれます。この場をかりて大声で答えたい。描いてる!!!!!!笑 だがしかし、私はすごく描き上げるのが遅いのとSNS発信がめんどくさすぎて←、描いていないような印象を与えるようです。汗セルフプロモーションって大事ですね。 この辺りも、したたかに狙わずに柔軟で自由に楽しみながら発信していきたいな、と思っています。てか、それしかできない。いつか無理が来るから。笑 でも計画性とか習慣にするとかってすごく大事ですよね。 もちろん、戦略も大事。見せ方って大事。だけど、私がいつも憧れるのは何かを上手にやりこなしている人じゃないんだな。そういう人は、むしろカッコよくないんだよな。 「うまくやるより、全力でやる」「模範を踏襲するより、奇天烈に自由にやる」 そんな人や物事に、情熱や美を感じるときの高揚感が好き。 これからもっともっとそんな人たちに出会っていきたい。私が私を100%表現している時、それは本来の私で在れている時。そんな時に、同じように本来のその人自身でいられている人と共鳴して出会っていき、そこにこそ生まれるケミストリーを楽しんでいきたい。 今日ブログを読んでくださるあなたにとって、自分らしさ100%を表現できる場や機会は、どこですか?それは、何をやっている時ですか?そこには、どんな人たちがいますか? 私は、等身大の自分らしさ100%をこのブログでも、そして制作を通しても、表現していきたいと願っています。 今日も読んでくださり、ありがとうございます。また今日からよろしくお願いします^^。うん、長いね。文章、長え。笑 追伸!(まだ書くんかい。私のブログ、ブラウザをリフレッシュしてもスマートフォンからだと最新になっていないことが結構あります。ごめんなさい。これどうにかならんか、調べてみます。

Jとの「物語」|作品解説

(本文の最下部に本作の全体像があります。ウェブサイトにも載せます。そのうち…) 久しぶりに会ったJは、控えめで少し緊張した面持ちで私の個展会場の扉を開けた。私は自分が思いのほか、笑顔で彼を迎えられたことに安堵した。彼に会ったら、泣いてしまうと思っていたから。

美しい人

「きれいな女の人に会っても、ただきれいだなと思うだけで、さして気にもとめないことが多いのに、いっぽう、きれいだとも思わないのに なにか惹きつけられる人がいるだろう。 そしてその人がすばらしい女性だったら、つきあっているうちに、内のほうから美しさが輝いてくるような感じで、ついには、本当にきれいであるような気さえする。 そんな人は、本当に美しい。 岡本太郎」 そう思う。さすが岡本太郎、かぁっくいー。きれいな女の人に会っても、デレデハラハラしちゃわないの?さして気にもとめないことが多いの?へ?正気か?って思う。笑 こんなふうに、人の本質を見出すことができる人間になりたい。こんな視点を持ってる男性(女性も)がいたら、めちゃくちゃかっこいい。そして自分も、知れば知るほど「趣深くて美しい人」として成長したい。 やはり男女問わずに美しい人は、造形美を超えて、味わい深く、知れば知るほどに魅力を内側から放ってる人なんだよなあ。美しいは、興味深い。 「美しさ」の基準はあくまでも主観なので、正解はないのだけれど。でもそこには目には見えないキャッチボールのような交流があるのだと思う。魅力を放つ人と、それを認識し美しいと受け取る人との間に起きる特別な、けれど自然な交流。 それで、きっと気が合うとか、なんか楽しいとか、一緒にいたいとかって、共鳴し合う美的感覚を要に、関係は発展していくのかも知れない。 ちなみに、さすが世界の岡本太郎。彼の選んだ女性はめちゃくちゃカッコイイ。敏子さん。確かに俗にいうきれいな人ではない。←彼女の名言、沢山あるけど一つだけ。(彼女は本を何冊も出されています。) 「素敵な男でなければ、女はつまらない。男をそういう、魅力的な存在にするのは、実は女の働き、役目なのよ。 」 太郎も敏子もどっちもかっこええやないかい。

故人を想う

今日は新月。2月4日(本当の新年)の立春すぎて初の新月。ぅおおおー!ってキテル感覚のある方も多いかもしれないしあるいは心や体調が乱れてる方も多いかもしれない。 お元気ですか?(急に聞くな)そんな昨夜、彼女にすごく励まされた気がしたので今日はそれを分かち合いたいと思います。 その方と出会ったのは、10年以上前になります。 出立ちは華やかで、大御所のような雰囲気もある方なのに、とても謙虚で控えめな女性でした。 あるセミナーの後、「いつもありがとうございます」と言うと、彼女は本当に恥ずかしそうに「やだ私、顔を覚えられちゃったのかしら」とうつむいて笑っていました。 その姿を見て、見た目の華やかさと違い、チャーミングで親しみやすい人柄を感じたあの表情と情景を昨日のことのように思い出します。 彼女は私の一回り以上年上でしたが、私のことを尊敬する/ファンだと言い、本当によくしてくださいました。華道家の師範でもある、彼女の美的感覚や誰に何が似合うかなどのセンスもピカイチで、人を見る目のある、まさに心の純粋な、美しい方でした。誰もが彼女を好きになるような、親しみのある方。。。そして何かとても、表現しにくいのだけど、視える人で、、現に私自身や私に関する色々を感じて?いたこともあり。「○○さんは、あなたに下心があるけど、あなたは本当に気づいていないから気をつけた方がいい」などのアドバイスもあり、それが後日、本当に役に立ったり、、、。 私は彼女のことが大好きで大好きで、私に何かがあったらチャットでも電話でも彼女に相談したり報告したりぼやいたりしていました。その度に、「あなたは最強運持ってるから、何やってもいいのよ。どこ行ってもみんなにモテモテだから、大丈夫よ。」いつもそんなふうに励ましてくれました。 そろそろ連絡したいと思っていた矢先、彼女とはもう会えないことがわかりました。 千代田線の車内でその報せを見た時、涙がとまらず、オフィスに着いた後も、帰宅後も。。 突然の報せだったこともあり、その後、1週間は深い悲しみがありました。 しかし一方で、同時に強く思っていたことは、敏感で感受性が極まりなく豊かな彼女にとってこの世界で生きることは本当に大変だったんじゃないかな、と。そう思うと今ゆっくり幸せに休めていることを安心するような気がしました。(これが他の人だったらそんなふうに思えなかったかもしれないけれど) それも、彼女が「私は今幸せだから、安心して」と、私に言ってくれているような感覚があったというか。。。 ふと、LINEを昨日見返していた時、彼女とのやり取りが目に入り、それを見ていたら彼女が私にこう言ってくれているような気がして、涙がたくさん出ました。「もっと絵を描きなさいよ。私、もっとあなたの作品見たかったんだから」って。華道家として、素晴らしい感性を表現しきれなかったことを、私は彼女との会話から知っています。だからこそ、彼女は「どんどんやりなさい。上手い下手じゃないのよ、あなたの感性を好きって言ってくれる人は必ず現れるから。その人たちを大切にすればいいだけ。絶対連鎖は起きるから。起こすのよ。無限の芸術を、有限に引き下げちゃダメ。」 自分に対する戒めも込めて、当時立ち止まる私と自分を重ねながら励ましてくれていたのでしょう。 生きてるうちに出来ること、それは本当に限られています。それは「自分が」という主語だけでなく、「自分の大切な人が」ということかもしれません。「私も、私の大切な人も、お互いが生きてるうちにできること」それは、本当はそんなにたくさんする必要はなくてあるいは、大それたことなんかでもなくてシンプルに、自分が大切にしていることや楽しみたいことをその人と共に響かせ合うことができれば、それが最高に幸せな瞬間なのだと思います。 その瞬間がたくさん重なり合い続いていく時、きっと私たちは、「今」に没頭できるのでしょう。人生の無駄な心配や後悔、不毛な努力は不要になり、この今を味わって楽しまなくちゃ、って実感するのでしょう。 年齢を重ねれば、周囲の死とも出逢います。それを受け入れる時、そして同時に故人を想う時、彼らは今喜んでいて、自由なのだと思いたいです。自分の悲しみに打ちひしがれるのは、エゴだってわかってるから。(でも寂しいんだけどねーーー) だからこそ、みんなに福音を知ってもらい、そして天国で再会したいと望むのです。 「あのね、一個言わせてほしい。描いてるんだけど、時間かかるの。だから待っててね」

手放すこと、視点をズラすこと、離れること

手に入れるより手放すことの大切さを教えられているので(今も)、それを書いている記事です。 私たちは、人生で何を手に入れるかにとらわれがちである。手に入れたもので自分の幸せを測ってしまう。 実際、私たちはたくさんのことが与えられ、その中で成長し、感謝し、そして自分も誰かが何かを手にいれる助けとなりたいと願い、力を発揮していく循環がある。 でも、すごく思うのは、与えられたものを特別なものとして大切にしすぎるのでもなく当たり前のものとしてぞんざいにするのでもなく、時に手放し、距離をとることの大切さだ。 ある友人が、変な恋愛関係を続けていた。 「自分は将来結婚がしたい。でも今付き合っている相手と性格が合わず将来は考えられないから別れようと思っている。けれど別れたら寂しくて後悔するだろうから別れられない。相手には申し訳ないから別れるべきだけど、自分にとって都合がいいし居心地がいい。恋人がいる方がいないより、つまんなくない。でも別れた方がいいことは分かってる」という状況を3年くらい続けていた。 数ヶ月じゃなく年単位、10代ではなく30代でこの恋愛、という事実に驚く。 この発想と関係とその時間そのものが後悔の対象になると思うのだけど、「別れたら後悔する、なぜなら自分が寂しくなるだろうしつまんないから」という、至極利己的な先立つ後悔の理由と歪んだ孤独に、私は言葉がなかった。 恋愛でこのように自分の利益のために人と付き合うことを3年も続けられる人種に私は出会ったことがなかったので、話すたび理解に苦しみ、何と言ったらいいか本当にわからなかった。そしてその友人の恋人も、マトモではないのだと察した。(フツウ、そんな利己的な男はこっちから願い下げだからだ) この友人にとっては一緒に過ごす恋人が、どんな存在/関係であるかよりも「恋人がいる」という自分のステイタスに依存しているのが、わかる。そしてその依存によって、自分の感覚を鈍らせ、自分の本当の幸せや本当の願いを叶えることを、自分で遠ざけているのもわかった。しかし例えるならば、本人は何か気配には気づいてはいるけれど、はっきりと認識していない、「盲目」であるように思った。上から目線ではなく、心底、可哀想だと感じた。 私たちは何かを手に入れている=幸せであるという錯覚を得やすい。 仕事、子供、配偶者、住居、経験、学歴、環境、財産、恋人、地位、名誉、権力、能力、時間、容姿、、。 事実、前述の通りそこから得られる豊かさによって感謝が生まれたり、人格が養われたり、人に出会い、様々な機会を得たり、人に助けられたり、役に立ったり、という素晴らしさを経験するということは根底にある。 (手に入れているという表現は、必ずしも自分が所有しているということではなく、「自は何者か」を説明する上で表す要素のことでもあり、それによってアイデンティティ(自己認識)を形成していくものでもある。) けれどもそれらは、「自分自身=自分の芯をつらぬき決して揺るがない、一貫性のあるもの」ではない。 で、本題はここからだ。(おそ) 人は似たものを引き寄せるという。(量子力学の話、引き寄せの法則の話は、また今度…) 私は思った。「なぜこのタイミングで、私はこの友人と出会い、この話を何度も何度も聞かされているんだろう?学ぶことはなんだろう?友人の問題ではなく、私個人に対するどんな教えやメッセージがあるのだろう?」 当時、こう思った時、私の中にある明らかに手放すべきこと、離れるべきことをここでもまた認識した。 それは、自分がとても大切にしてきた立ち上げた仕事への思いを手放し、物理的にも離れるということだった。 ーつづく。 (ぁの〜、その理解不能な恋愛と私の仕事に対する思いを同じにしてほしくないんだけどさ。笑 大枠でくくると同じなのでしょう、1,000歩譲って。←)

私の声。

自分の声について、ちょっと書いてみようと思う。私は子どもの頃から声や話し方に特徴があるらしく、人生のいろんなシーンで声について色んなコメントをいただいてきた。 思い返すと、小学生の頃から「可愛い声」と言われていた。同時に「ぶりっ子してる」と言われたのは、この頃から成人して働き始めても変わらなかった。 高校生の頃電車の中で、知らないおじさんに「うるさいんだよ!」という意味だと思うけど「声高いんだよ!ぶりっ子すんな!」と降りる時に怒鳴られたことがある。もちろんこちらは、常に普通に話している。かわい子ぶろうと狙っていない。(他のブログも読んでいただければ、私が「可愛い」を狙っていないことは明らかすぎるだろう。笑) ぼそっと呟く言葉がアニメ声によって、より面白く?聞こえることもあるようで、よく真似されたり、イジられたりしてきた。(これは声に感謝!)私は自分の声が好きでも嫌いでもなく、声によって、多分損をしたことはないと思っているけど、逆に恩恵は…あったのかな?という感じ。褒められることやネタにされることは、たぶん人より多い。 ただ、20歳で働き始めた頃、会社はマナーの厳しい、サービスの最高峰と言われる某外資系高級ホテルだったので喋り方や声の出し方は個別で指導を何度も受けた。 当時の女性のマネージャーが私を気に入らなくて、いじめられてんのかな?と思うほどだった。 個室に呼ばれて発生方法をリピートさせられたり、話し方を何回も直されたり。しまいには、「里美さんの声が可愛いことは十分わかったから、それはプライベート仕様にして、仕事の時は変えて、ね!ここはキャバクラじゃないんだから」と言われて泣いた。「声ってどうやって変えるんですか?」という純粋な問いに対して「その声、今作ってるでしょ?」と言う彼女は、明らかに苛立っていた。 転職して、客先でミーティングが終わった後に「鈴木さん、そろそろ普通に話していいですよ」と言われたり。この時は、同席していた先輩が「いや、彼女こういう声で、普通にこういう話し方なんですよ。笑」とフォローしてくれた。で、これと似たような経験があと3回はあった。 それから(まだある声ネタ。笑)、高校生の頃にアニメとかゲームが好きなグループの女の子に「鈴木さん、進路決まった?」と聞かれ「うん、専門学校に行く!」と答えたら彼女たちは色めき立って、「やっぱり!声優になるんだ!」「すごい!」「おめでとう!!」と。私が訂正すると、とても残念がっていた。「声優になったらいいのに…」と。 あの時、声優目指してたら良かったのかな。笑 新しく友達になる外国人から「このセリフ言って」系はよくある。これは「ぶりっこしてる」と言われてきたのと同じくらいありすぎて、枚挙にいとまがない。 今この歳になり、久々にお会いする人生の先輩方に「話し方も声も落ち着いたね。知性を感じるよ。」と、よく言われる。安心である。笑ちなみに私は、姉2と一緒に住んでいたことがあった時期、彼女と電話で話しているのを聞いた、複数の私の友人たちから一様に質問されたのが(みんな別のタイミングで)、「電話の相手、誰?」「彼氏?」「ストロベリートーク!(驚)」だった。笑心をゆるしている相手に話す私の声は、一層甘かったようだ。 ある女優さんは、顔とは似つかぬガラガラ声が個性として好評らしく、美しい声とは全く言えないけれど、その声が少しでも変わることを恐れて、発声改善のための喉の手術をしなかったらしい。 声は「言葉」という人間のみが使える素晴らしい芸術ツールを扱う大きな一つのパイプであり、表現を司る個性として、大切なもの。自分の声、普段意識することはないけど、これからもニュートラルな気持ちでメインディッシュである「言葉」をのせる器として、大切にしていきたい。 なんとなく、私から出てくる絵の数々は私の容姿の雰囲気より、声の雰囲気に近いイメージのような気もすると、ふと思ったり。 そうそれと、いわゆる見える系の人や、年配の何人かに言われてきたのは、「声に特徴のある人は出世する」「カリスマのある人は声が独特」と。あれ、だから何って話なんだけども。笑大器晩成するってことかな?ははは。 ちなみに二人の姉は顔も声も似ていると言われており、声(喋り方含む)は昔は特に激似だった。(名前も似てる。私だけ全部全然違う。笑)で、その二人の声は割と低くて聞きやすい声。私とは全く違う。 不思議だな〜。