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故人を想う

今日は新月。2月4日(本当の新年)の立春すぎて初の新月。ぅおおおー!ってキテル感覚のある方も多いかもしれないしあるいは心や体調が乱れてる方も多いかもしれない。 お元気ですか?(急に聞くな)そんな昨夜、彼女にすごく励まされた気がしたので今日はそれを分かち合いたいと思います。 その方と出会ったのは、10年以上前になります。 出立ちは華やかで、大御所のような雰囲気もある方なのに、とても謙虚で控えめな女性でした。 あるセミナーの後、「いつもありがとうございます」と言うと、彼女は本当に恥ずかしそうに「やだ私、顔を覚えられちゃったのかしら」とうつむいて笑っていました。 その姿を見て、見た目の華やかさと違い、チャーミングで親しみやすい人柄を感じたあの表情と情景を昨日のことのように思い出します。 彼女は私の一回り以上年上でしたが、私のことを尊敬する/ファンだと言い、本当によくしてくださいました。華道家の師範でもある、彼女の美的感覚や誰に何が似合うかなどのセンスもピカイチで、人を見る目のある、まさに心の純粋な、美しい方でした。誰もが彼女を好きになるような、親しみのある方。。。そして何かとても、表現しにくいのだけど、視える人で、、現に私自身や私に関する色々を感じて?いたこともあり。「○○さんは、あなたに下心があるけど、あなたは本当に気づいていないから気をつけた方がいい」などのアドバイスもあり、それが後日、本当に役に立ったり、、、。 私は彼女のことが大好きで大好きで、私に何かがあったらチャットでも電話でも彼女に相談したり報告したりぼやいたりしていました。その度に、「あなたは最強運持ってるから、何やってもいいのよ。どこ行ってもみんなにモテモテだから、大丈夫よ。」いつもそんなふうに励ましてくれました。 そろそろ連絡したいと思っていた矢先、彼女とはもう会えないことがわかりました。 千代田線の車内でその報せを見た時、涙がとまらず、オフィスに着いた後も、帰宅後も。。 突然の報せだったこともあり、その後、1週間は深い悲しみがありました。 しかし一方で、同時に強く思っていたことは、敏感で感受性が極まりなく豊かな彼女にとってこの世界で生きることは本当に大変だったんじゃないかな、と。そう思うと今ゆっくり幸せに休めていることを安心するような気がしました。(これが他の人だったらそんなふうに思えなかったかもしれないけれど) それも、彼女が「私は今幸せだから、安心して」と、私に言ってくれているような感覚があったというか。。。 ふと、LINEを昨日見返していた時、彼女とのやり取りが目に入り、それを見ていたら彼女が私にこう言ってくれているような気がして、涙がたくさん出ました。「もっと絵を描きなさいよ。私、もっとあなたの作品見たかったんだから」って。華道家として、素晴らしい感性を表現しきれなかったことを、私は彼女との会話から知っています。だからこそ、彼女は「どんどんやりなさい。上手い下手じゃないのよ、あなたの感性を好きって言ってくれる人は必ず現れるから。その人たちを大切にすればいいだけ。絶対連鎖は起きるから。起こすのよ。無限の芸術を、有限に引き下げちゃダメ。」 自分に対する戒めも込めて、当時立ち止まる私と自分を重ねながら励ましてくれていたのでしょう。 生きてるうちに出来ること、それは本当に限られています。それは「自分が」という主語だけでなく、「自分の大切な人が」ということかもしれません。「私も、私の大切な人も、お互いが生きてるうちにできること」それは、本当はそんなにたくさんする必要はなくてあるいは、大それたことなんかでもなくてシンプルに、自分が大切にしていることや楽しみたいことをその人と共に響かせ合うことができれば、それが最高に幸せな瞬間なのだと思います。 その瞬間がたくさん重なり合い続いていく時、きっと私たちは、「今」に没頭できるのでしょう。人生の無駄な心配や後悔、不毛な努力は不要になり、この今を味わって楽しまなくちゃ、って実感するのでしょう。 年齢を重ねれば、周囲の死とも出逢います。それを受け入れる時、そして同時に故人を想う時、彼らは今喜んでいて、自由なのだと思いたいです。自分の悲しみに打ちひしがれるのは、エゴだってわかってるから。(でも寂しいんだけどねーーー) だからこそ、みんなに福音を知ってもらい、そして天国で再会したいと望むのです。 「あのね、一個言わせてほしい。描いてるんだけど、時間かかるの。だから待っててね」 ...
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手放すこと、視点をズラすこと、離れること

手に入れるより手放すことの大切さを教えられているので(今も)、それを書いている記事です。 ...
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私の声。

自分の声について、ちょっと書いてみようと思う。私は子どもの頃から声や話し方に特徴があるらしく、人生のいろんなシーンで声について色んなコメントをいただいてきた。 思い返すと、小学生の頃から「可愛い声」と言われていた。同時に「ぶりっ子してる」と言われたのは、この頃から成人して働き始めても変わらなかった。 高校生の頃電車の中で、知らないおじさんに「うるさいんだよ!」という意味だと思うけど「声高いんだよ!ぶりっ子すんな!」と降りる時に怒鳴られたことがある。もちろんこちらは、常に普通に話している。かわい子ぶろうと狙っていない。(他のブログも読んでいただければ、私が「可愛い」を狙っていないことは明らかすぎるだろう。笑) ぼそっと呟く言葉がアニメ声によって、より面白く?聞こえることもあるようで、よく真似されたり、イジられたりしてきた。(これは声に感謝!)私は自分の声が好きでも嫌いでもなく、声によって、多分損をしたことはないと思っているけど、逆に恩恵は…あったのかな?という感じ。褒められることやネタにされることは、たぶん人より多い。 ただ、20歳で働き始めた頃、会社はマナーの厳しい、サービスの最高峰と言われる某外資系高級ホテルだったので喋り方や声の出し方は個別で指導を何度も受けた。 当時の女性のマネージャーが私を気に入らなくて、いじめられてんのかな?と思うほどだった。 個室に呼ばれて発生方法をリピートさせられたり、話し方を何回も直されたり。しまいには、「里美さんの声が可愛いことは十分わかったから、それはプライベート仕様にして、仕事の時は変えて、ね!ここはキャバクラじゃないんだから」と言われて泣いた。「声ってどうやって変えるんですか?」という純粋な問いに対して「その声、今作ってるでしょ?」と言う彼女は、明らかに苛立っていた。 転職して、客先でミーティングが終わった後に「鈴木さん、そろそろ普通に話していいですよ」と言われたり。この時は、同席していた先輩が「いや、彼女こういう声で、普通にこういう話し方なんですよ。笑」とフォローしてくれた。で、これと似たような経験があと3回はあった。 それから(まだある声ネタ。笑)、高校生の頃にアニメとかゲームが好きなグループの女の子に「鈴木さん、進路決まった?」と聞かれ「うん、専門学校に行く!」と答えたら彼女たちは色めき立って、「やっぱり!声優になるんだ!」「すごい!」「おめでとう!!」と。私が訂正すると、とても残念がっていた。「声優になったらいいのに…」と。 あの時、声優目指してたら良かったのかな。笑 新しく友達になる外国人から「このセリフ言って」系はよくある。これは「ぶりっこしてる」と言われてきたのと同じくらいありすぎて、枚挙にいとまがない。 今この歳になり、久々にお会いする人生の先輩方に「話し方も声も落ち着いたね。知性を感じるよ。」と、よく言われる。安心である。笑ちなみに私は、姉2と一緒に住んでいたことがあった時期、彼女と電話で話しているのを聞いた、複数の私の友人たちから一様に質問されたのが(みんな別のタイミングで)、「電話の相手、誰?」「彼氏?」「ストロベリートーク!(驚)」だった。笑心をゆるしている相手に話す私の声は、一層甘かったようだ。 ある女優さんは、顔とは似つかぬガラガラ声が個性として好評らしく、美しい声とは全く言えないけれど、その声が少しでも変わることを恐れて、発声改善のための喉の手術をしなかったらしい。 声は「言葉」という人間のみが使える素晴らしい芸術ツールを扱う大きな一つのパイプであり、表現を司る個性として、大切なもの。自分の声、普段意識することはないけど、これからもニュートラルな気持ちでメインディッシュである「言葉」をのせる器として、大切にしていきたい。 なんとなく、私から出てくる絵の数々は私の容姿の雰囲気より、声の雰囲気に近いイメージのような気もすると、ふと思ったり。 そうそれと、いわゆる見える系の人や、年配の何人かに言われてきたのは、「声に特徴のある人は出世する」「カリスマのある人は声が独特」と。あれ、だから何って話なんだけども。笑大器晩成するってことかな?ははは。 ちなみに二人の姉は顔も声も似ていると言われており、声(喋り方含む)は昔は特に激似だった。(名前も似てる。私だけ全部全然違う。笑)で、その二人の声は割と低くて聞きやすい声。私とは全く違う。 不思議だな〜。 ...
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筋トレ習慣は最強習慣の一つ!

2023年、すっごく大変な状況も通りましたが(詳細は12月30日と31日の記事) そんな中でも私を一番支えてくれた存在があります! ランキング形式でご紹介しようと思ったけど、それは失礼なので笑、一つだけ紹介します。 それは〜〜〜〜っ 筋トレでした。 え?って思われる方もいらっしゃるかもしれないけども、本当に。記事一個じゃ足りないくらい。笑 ジムでは多分同じ体型の女性が上げられない重量を上げます。私のトレーニングぶりが多分、「ガチめ」なので「なにかやってましたか?」「競技やってますか?」と聞かれます。 私はスポーツトレーナーになるための学校を卒業していて、卒業後は都内の某有名5スターホテルに併設された高級スポーツジム+スパで、トレーナーをしていました。 学生の頃は入学当初からわかっている卒業課題がありました。それは、器械体操、縄跳び、ウェイトトレーニング、水泳で、規定のノルマがありそれを越えられないと卒業できない、というものでした。 クロールで25メートルも泳げなかった私。もちろん平泳ぎもバタフライも出来るようになるまで本当に時間を要しました。そして何より、100mのメドレー(通称1個メ:バタフライ、背泳ぎ、平泳ぎ、クロール、25mずつ=100m)を1分40秒で泳ぎ終えないと卒業できないと言う謎の試練があり、 その課題をクリアするために、顔を真っ赤にしながらほぼ毎日泳いでいました。 それとプラスして、ベンチプレスやスクワットやデッドリフトも課題があり、(各自の体重に対してそれぞれにMAXの重さが決まる) 華奢で太りにくく、腕が長い私は、骨格的(天性的)にも筋肉が付きにくく、本当に不利で努力に努力を重ねた毎日でした。(器械体操も本当に苦手だった。ボソリ。。) 毎日眠くて電車で爆睡、常にお腹が空いていて、完全にアミノ酸摂取不足だったと思う。笑 で!このしんどい日々を支えてくれたのが、友人たちでした。特にガネは、器械体操を放課後も、つきっきりで教えてくれたり、水泳の練習にも何度も付き合ってくれたり。もちろんウェイトも。ナッチャンは、泳げず+体型が似ていたので、お互いに慰め合い励まし合ってそれぞれの成長を喜び合ったり。 もちろん他の友人たちも、全ジャンルに対して一番劣っていた私(笑)を、気遣ってくれていたような気がするなあ。で、この1〜2年(振り返ると本当はもっと長期で)仕事を通してすごく大変な状況を通っていたのですが、ジムに行って、ベンチ台に寝っ転がり、天を仰いでバーを握ると、当時の記憶がすごく鮮明に思い出されていました。 「サッチャーーーーン!上がる!!!上げろ!出来る出来る!!いけいけー!!」 みんなが私を励ます声。できなかったことが少しずつできるようになり、これが出来るようになったとか、アレをクリアしたとかを報告し合うこととか。根気と継続勝ちすることを経験した日々だったな、と。しみじみと思い起こして、過去の経験が今の私を励ましているような感覚もありました。いわゆる、「青春」と呼べるような華々しい思い出ではなく、(本当にただただ、私は落ちこぼれ枠でしたので、笑)できないことができるようになった数々をあの2年間で経験させてもらい、そしてそこにはいつもすごく親切に助けてくれる友人や一緒に乗り越えようとしてくれる友人がいたことを思い出していました。 キャリアとして、学歴と言えるような学校を卒業してないと思う。今だに「何であなたがあの学校行った?」とか、当時も学校を選ぶ時、高校2年生の時の担任の先生に「さとみ、もっと上の、四年制大学を普通に狙って行けるだろ。後悔しないか?」と言われていたことを時々振り返る。けれど、私はあの学校に通わせてもらえて、あの学校を卒業できて、最善の選択をしたと思う。あの独特な(2年間で、子供向けのキャンプのボランティア活動や、実習での運動指導など含む)経験は、私の中から無くならない本当の財産です。そして、新卒で先輩方をごぼう抜きして予約の取れないトレーナーになれたのは、あの日々があったおかげだと、確実に思います。 筋トレをすると、アドレナリン、テストステロン、エンドルフィン、ドーパミン、セロトニンも放出され、そのどれもがストレスと戦ってくれるホルモンであり、自分を幸せな思いにさせてくれるホルモンです。(ざっくりすぎる笑) トレーニングをすると、すごく不思議だけど、強くなれるような、でも同時に癒されるような感覚を得ます。 昨年は運動習慣を取り戻したことで、本当の自分を取り戻すのにも、かなり役立ったと感じています。 運を動かすと書いて運動。仕事ができる人ほど、定期的な運動をしてセルフケアやセルフコントロールが出来ている人が多いそうです。ちなみに、素直になっていく人も多いようですよ…不思議。(↑米国/英国のデータバンクから、科学的な証明が出ていますね、毎年) これからも、自分の運…と言うか「気」(発しているエナジー)の流れに責任を持ち、それを楽しみながら向上させていきたいです。 2024年は、もっと重量を上げられるようになれたらいいな。(これ以上は、エラーも出て補助が必要になってしまうので難しい…のだけど) それと、驚くほど走れなくなってるので、泳いだり走ったりもしたい!それから呼吸と柔軟性の奥深さを感じているのでそれをもっと実践・特化したい。 私の筋肉も関節も、この1年間本当にありがとう。筋肉の記憶力は最強!そしてジムで出会ったアニキたち、(絶対にこのブログ読んでないけど笑)ありがとう。本当に状況が大変だったから、泣きながらトレーニングしてた日が何度もあったけど、みんな自分に集中してる場だから、その空気感のおかげで何度も気が紛れました。そしてそして、過去の私の記憶と、当時一緒に頑張ってくれた友人たち、本当に本当にありがとう。今でもみんなとあの思い出は私の誇りです。そんなことを思った昨年末でありました。 ー2023年12月末現在 大体の目安(ベルトなし)ースクワット45kg x 6ルーマニアンデッドリフト40kg x 7ベンチプレス37.5kg x 1 ...
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ついにやって来たぜ。勝利の女神降臨。

明けましておめでとうございます! 除夜の鐘の意味はご存知ですか?108回鳴らすその鐘の意味には、人間には108の煩悩(自分の内側にあり自分を苦しめる心)がありそれを108回の鐘を鳴らすごとに消し去って、年が明けた時には綺麗さっぱりなくなっている、と言うことに起因してその煩悩も新年と共に明けてなくなりました、おめでとうございます。と言う仏教の意味があるそうです。 昨年気づいたのですが、私は108以上の煩悩によって(?)自分自身を散々苦しめて来たので笑、もうその生き方をやめる宣言をしました。だから2024年は本当の意味で、自分が自由に生きることを実践する年になります。 誰かや何かのために犠牲を払い続け、自分が犠牲を払うからこそ周りの役に立ったり誰かを楽にさせてあげるなんて、(我が子でもないのに…例え我が子であっても)健全な生き方ではないですよね。そもそも。おこがましい。 どんなに近しい身内の間柄でも、志を同じくする仲間でも、きちんと境界線を引き、相手の問題は相手のもの、解決しようとするのは相手の取り組みであって自分のものではない。このことをしっかり認識し、自分の土俵に集中し、それを楽しみたいと思います。 ある時、何年も前ですが私は尊敬する恩師から「勝利の女神」だと言われていました。私と一緒に働くと、必ずいい結果に導かれたり、いい人と巡り会ったり。強運を運んでくれる、と。 今思うとすごくおだて上手な、さすがボスの発言であり、でも実際そうだったところがあると自負があったので素敵な表現だと、嬉しく思っていました。 でもね、私がもし本当に勝利の女神なら、私自身が私を勝たせてあげなくちゃね、どんな時も。他の誰かを勝たせるのはそのずっと後でいい。 神様からの愛も、溢れるほどに受け取りまくっているから周りに流すことができる。噴水のように。自分が受け取れきれずに枯渇しているのに、周りに与えようとするのは自己破産的になっちゃう。 自分のケアより人へのケアが上手とか、やりがいを感じるとか、自分のことは後回しでいいと思ってる人は本当に危険。いつだって、まずは自分に矢印を向けよう。 この1年は、神が造られた私が私を喜び、私に憩い、そして私を100%表現していきたい。そうすることで、もっと自分を大好きになる。 人間が生きる人生の目的は、自分自身をできる限り100%発揮していくこと。どんな時も、どんな環境でも、どんな手段であっても。そうして自分から湧き上がる愛を人と交流させて、新しいケミストリーを生んで、エナジーを溢れさせること。 この目的を実践していきたいと思います。 さあ!2024年は龍の年、スピード重視で行動が大事。私の苦手分野あー!笑いらないものはいつも捨てて、ちゃんと捨てて、軽やかに昇っていきましょう!!!! いつでも、私が私の勝利の女神。 ...
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ありがとう、2023年

全然明けてもなく、めでたくもない年末年始のどん底から1年。適応障害で、このままだと長期不安障害になると思い、退職。 控えめに言って、元同僚の自分勝手で人を平気で傷つけても気づかない極度の利己的な事柄の数々に疲弊し混乱していた。(詳しくは前の投稿を。) 「悔い改め(神に向き直って気づくこと)は神様の領域だから、彼が悔い改めるのを待つしかない」と信仰のある先輩に言われ、余計に混乱した。 え、そりゃそうなんだけども。 一般常識に基づくと、誰かが誰かを傷つけたり、間違ったことをしていたらそれに気づかせるよう促したり諭したり、何かしらきちんと働きかけるのに。聖書的解釈では、悪いことをし(続け)ている人をゆるすことがベースにあって、その他のこと(傷ついた人の心や、カオスな状況の整備)は、放っておかれ、後回しなのか?と。 こういった周りの、不誠実で傍観的と思わざるを得ない対応を経験し、それらも含めて私は、この1年間、信仰とは何か、信仰者とは何かを本当に考えさせられた。結論は、別の記事に書くとして、どん底でスタートした1年前から今、どうあるかを記しておきたい。プライベートなことを数々含むので、詳細は端折るけれども、 自分が精魂込めて立ち上げた団体だったけれど、そこから去って本当によかった。少しでも自由になって本当によかった。そして長年、歪んだ聖書観が植え付けられ、それに縛られていたことにも気づいた。(スコトーマの記事が関連する)この大部分は自分の思考習慣や過去の経験に基づくものも大きく起因しており、そこからも激しく学んだ。 6月、個展をさせていただいた。それに向けて絵を描く中で、本当に私自身が油彩を描くことで癒しを経験し、励まされた。背後でたくさんの方々が祈ってくださっていたことを実感した。1月から6月は、本当にひたすら描いていた。とても心地よく幸せだった。表現することの純粋な楽しさと、これを誰が見てくれるんだろうという、未知な出会いを期待するあの感覚は、制作している時にしか味わうことができない、特別なものだと知った。7月以降は、海外への助成金の募集に応募していた。慣れない英語を読み、英語でCV(履歴書)を書き…。自分が自分を助けなくっちゃ、脱出させなくちゃという感覚があった。10月、すぐにでもある国にインターンシップをしに行かないかと言われた。その配慮がすごく嬉しく、それだけでかなり大きく期待と癒しが与えられた。 12月、新しい仕事が与えられ、面白い世界があることを知った。いろんな仕事があるなあと。職業に基線なし。一つに固執しなくてええやん、と。夢がある人たちとも多く出会い、人との出会いって、本当に不思議で尊いなと思った。自分の社会復帰のリハビリにはとても良い機会だと実感している。 また、今まで顔見知りだったあるコミュニティの人たちとも話すようになり、その時間も楽しみで、交流が広がっていることを感謝している。 そして来年、新しい仕事をしようとお声がけを頂いている。親友とLINEでチャットをしていたとき、「1年前はこんなふうになるなんて思ってた?」と聞かれ、迷わず出てきた答えは、「こうなると思えなかったけど、必ず上向くと信じてた」だった。 自分の心も体も元気になり、前というより上を向き、物心両面において上昇していることが、ただただ嬉しい。「働きたい」という思いがまた芽生え、「仕事が与えられている」という両方の状況を心から感謝している。これって当たり前のことじゃないなって。来年はもっともっと絵を描き、発表していく、絵本も作って出す。仕事のオファーを生かして、これまでの経験を活かした仕事もやる。海外に行きたい出たいと言っているけど、それは私の本心かな?どうだろう?移住とかじゃなくて、旅行で沢山の国に行けたらベストっていつも思ってるからその実現に近づきたい。 全てのチャンスに対し、感謝しそこに賭けて取り組んでいく。そして、黙ってすごく支えてくれている母に、2023年、心からの感謝のMVPを贈りたい。 「全身全霊で自分の人生を立て直す」と宣言した1年前の私へ、これからは軽やかに、でもこの宣言は活かしたまま、最良の人生を生きていこう。必死になって与えることより、ただただ、感謝して受け取り満たされながら。昨年とは真逆で、感謝いっぱいに2023年を締めくくれることを全方位に、心から感謝します。 ...
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ゆるしと正義と女性たち

今年1年を振り返ると、この1年は自分に対する学びとその収穫がとても多かったとすごく思う。昨年の今頃は、適応障害(原因が明確な鬱症状。鬱病ではない)を既に発症しており、年明け以降も記憶がない。信頼し長年共労していた友人が驚異的な自己中心的人格者であると認識し、長年の忍耐の緒が切れ、これまでの自分の選択は正しかったのか、本当に私の信じている神の真理に則しているものを行なっていたのか、甚だ不安になっていた。 この件については、spiritual abuse という部類に属する話で、日本ではまだまだ取り上げられてないし今後も扱われるのが難しいハラスメント(虐待)に関する話です。(旧統一教会で話題になっていた人々の苦しみは、これに該当する。決して、人間関係の問題ではなく、被害と加害の問題であることを覚えてほしい。) いわゆるパワーハラスメントと掛け合わせて、人の純粋な信仰心を利用し、自分の利益のために人を動かそうとする人が存在する。本人は「自分の利益のため」ではなく、神の栄光のためだとか、人様の役に立つためだと表明している。しかし、苦しむ人の存在を見て見ぬふりをしたり、自分の正当性のために事実を捻じ曲げ平気で嘘をついたり、善悪ではなく自分の損得で物事を判断し、過大な評価を求め、人の気持ちより目標の達成や利益追求に走ることから、究極的な利己的であることは明白である。 私が、いち福音信仰者として、このような経験をしたことをこうして不特定多数(ぁえ?少数?笑)に発信し、文章に残すことを不快に思い、私の信仰やモラルを疑い否定する方もおられることだろう。「人間として未熟である」「まだゆるせてないんだ」「さっさと忘れなよ」「痛々しい」とかなんとか。 私は、そのようなご意見に対して真っ向から反論する。(現に、「彼をゆるしてください」とか「人や教会を見たらあかんよ。神様を見んと。」とか言われたけれど、すごく的外れな助言だ。) 性被害に遭った伊藤詩織さんが、実名で顔も出してその事実の酷さ、また検察や警察の不当な扱い、この世界の傍観的不条理に対し異論を訴えたとき、 多くの人が彼女に対し 「悲劇のヒロインだ」とか「だったらあの時もっとこうできたでしょ」とか「無防備だったからいけなかった」とか…もっともっと酷い言葉をかけて彼女をより一層苦しめた。(これをセカンドレイプと言う。) またあるいは、旧統一教会問題で矢面に立った小川さゆりさんは、不当さを発信し、同じように苦しむ人を救いたいもうこういった宗教は無くして被害者をこれ以上増やしてほしくないと強く願い、ただその純粋な思いだけでメディアに出ていた。けれど、売名行為だとか(一般人で仮名の彼女が何のために売名するのよ?)、悪魔だとか、これまた悲劇のヒロインぶってるなど、散々なこと、しかも関係のない夫の有る事無い事まで言われていた。。 だ!か!ら!(大声)、だからこの世界から、ハラスメントが消えないんだと思う。 なぜ、彼女たちは苦しみを受けた純粋な被害者であるのに、その経験を黙っていろと言われなくてはならないのか? なぜ、黙っていることが慎ましく賢く思慮をわきまえた人格者のようにみなされるのか? なぜ、事実を知ってもらうことで、どこかに存在するこういった被害者が「自分だけじゃない」と思えるチャンスや存在を消そうとするのか? なぜ、平和を求めて人々の道徳心を活気させ、悪に蓋をせず、正義を唱える人を容易く非難するのか? なぜ、人が人にゆるしを強要し、自分にだって非があるじゃん、と言えるのか? これらの「なぜ」に対して一つ思い浮かぶ答えは、人の気も知らずこういうことを平気で思えてしまう人は、きっと、本当のゆるしを経験していないのだと思う。ゆるされるという稀有なあわれみも、ゆるすという勇敢な神秘も、味わったことがないのだ、と。 被害に遭っている彼女たちのしていることは決して、復讐ではない。そんなみみっちいことのためにあんな馬力を発揮し、人生の多大な時間を費やす犠牲は払えないだろう、どう考えても。ゆるせていないとか、そんな次元ではない。社会に対して、人間の公正と平等と平和と正義を訴えたい、と言う切実で強固な情動があるのだろう。 私はこのような人々の犠牲を伴う正義を考えるとき、そこにこそ、神の真実さを見る。ゆるしの神である一方で、そのゆるしが深ければ深いほど、正義は真っ当で正しいはずであり、それを徹底的に示されるのが神であるはずだ。 今、香港人の周庭さんが香港当局から指名手配をされている。彼女の場合は暗黙の被害者であり続けている。言論の自由と真実を社会に訴えて非難され、犯罪者扱いをされ、亡命するなんて。 そして、どの人たちも女性である。(故意的に女性をピックアップしたわけではない。)古来から続く、歪んだ男尊女卑思想は、罪と共に人間に組み込まれたDNAのようである。 …この記事の結論は、私が受けたことや感じたことも、地味に地道にここに記していく、その表明です。なぜならとても衝撃的な経験だったので。同時に誤解されやすい事実だから、自分の活字で残しておきたい。そして願わくは、同じような葛藤を持つ人の目に、いつか留まることができたら。。。 それから、福音信仰者として、間違っていた自分の大きな罪についても記していきたいと思う。読んでくださる方々と、ただ純粋に信仰とは何か、信じるとはどんな意味を発揮するか、そしてそれを守り生かすことは何なのかを分かち合いたいと願っている。 ...
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ザカリヤ「神は覚えておられる」

クリスマスの主役はイエスキリスト。 どんな映画にも名脇役がいるように、 クリスマスの物語にも、素晴らしい脇役が登場します。 けれどその人生を生きた彼らにとっては、 自分自身が主人公。 そしてそのどれにも、神様の素晴らしい約束が隠れています。 ...
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霊媒師クマリという女

生きているうちに、占い師に会う人は沢山いるのだろうけれど、 霊媒師に会う人はそんなにいないのではないだろうか。 ...
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人生の法則の中にある復活の希望

すべてが終わり、壊れたと実感する時を多かれ少なかれ誰しも経験する。壊れて失ったものが、自分の腕の中で大切に育んできたものなら、その代わりに大きな悲しみを抱かなければいけない時間がある。その時間は、人や物事によって違う。何分か何時間かで解放される人もいれば、何ヶ月か何年も時間を要する物事もある。 あるいは、もうどうでもいいはずなのに、何かががきっかけで思い出すこともある。 「手放せばいい」とはよく言ったものでそれが自分の意思かどうかは関係なく、一度抱いたものを引き剥がすのは難しい。疑問や悲しみが湧き上がり、感情の整理が間に合わず、答え合わせに苦しむのである。 一生元に戻らないと理解しているにも関わらず、手放すことがなかなかできない。 なぜか? (それは大切な人の急死であっても、憎むような事件であっても、)苦しんでいるにもかかわらず、その感情や経験、あるいは関係を手放したら、大切な自分の一部を失う気がするからだ。だから痛いしこわい。本当はそんなことはないのだけれど…。むしろそれを失った方が自分らしく身軽になれることがほとんどかもしれない。 脳は習慣に依存/帰属する習性があるので、そこから変化することを決めるのは一般的に難しい。でも、このような絶望的な大きな変化のことを「強制終了」と言って、「もうその生き方/考え方をやめなさい」という自由がきたサインだと謳う人は昔から多い。 大ピンチこそ、大チャンス。 そしてこれは本当にそうだと思う。自然の摂理というか、一般的な恩恵として、多くの人がこの人生の法則を知っている。それが真実であるなら、いつまでも悲嘆に暮れているのはタイムロスでしかない。 ただ、そうやって自分や周囲が「タイムロス」と思っている時間こそ、貴重なリカバリー期間であり、自分を取り戻して新しいチャプターを開くために必要な調整時期なのだと思う。 不死鳥は、自ら炎の中へ死に行き、もう一度生まれる。燻っている炎ではなく、ごうごうと燃える炎の中で死に絶え、自ら卵の殻を破り、弱々しくけれど大胆に大きな翼を広げて生まれる。 私たちは「自分の意思」とは思っていなくても、「このままじゃダメだ」という時、物理的には外的要因(自分の望まない道筋)によって、しかしある意味で自ら望んで、燃え盛る炎の中に突っ込んで死にに行くのかもしれない。 そうやって軌道修正しなければならないハードな道を通った人は、必ずその人なりに復活し大成すると、多くの経験者は言う。 知人の東洋算命学の博士曰く、「人生で深い谷を経験する人ほど、その分突出して風に乗って舞い上がる時を迎える。逆にアップダウンのない、平坦な人生の人もいる。けれど、それはそれで退屈かもしれない。これは単なる占いではなく統計学的に、人生にはそのような法則がある」と。 創造美の思想(本来この世界は美しく、戦争などは間違っている/悪であると、自然と思いが湧き上がる)と同じように、復活の希望は、私たちのDNAの中に組まれているのだと思う。 神様が人を創ったのだから、神の法則としてのドラマが人生にあるのは、至極理にかなっている。 だからこそ神を知り信じる者は、 癒えない傷はなく、明けない夜はないことを身をもって経験しながら、神を立体的に喜ぶ者に造りかえられていくのだろう。 ...
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2026 satomi suzuki