今の私にできること①~どん底と境界線編~

2年前の今頃。すっごい具合が悪かった。ある人と話したり、あることを話すとストレスで、文字通り体が震え出す症状があった。(あ、それとは別に私は昔からよく手が震えていることで有名ですが、病気ではありません。笑)

欧米化されたキリスト教

日本はキリスト教とその文化を欧米から輸入し続けてきたと言っていいと思う。というか、宣教師がやってきて(フランシスコザビエルfromスペイン)そこから日本にキリスト教が広がり始まるわけだけれど、そもそもキリスト教はユダヤ教が土台にあってそこから発展している。だから、元を辿るとキリスト教はアジア発祥の宗教である。

Monja boost 27days

※アイキャッチの写真は、私がお店で焼いたお好み焼きです♡↑ 前回のブログで月島に滞在していたと書いた。月島といえば…もんじゃ!ということで、私はどうしてももんじゃ屋さんで働いてみたいと思った。

下町生活(2024.10-11)

ブログを書くのも久しぶり。…インスタグラムは開いてさえいない。(FacebookはアプリもiPhoneの中にないので、論外。)私のソーシャルメディアとの付き合い方についてはまた別途記したい…

ネガティブを終わらせる方法

毎日ひたすらぼーっとしていた。(え。9月も終わりなんですけど。まじでなんの生産性もない、ぼーっと期間。 昔から、「頑張ってこそ意味がある、価値がある」という強い信念に生かされてきた私なので、まるで別人である。振れ幅の差よ。笑

uncertain night | 作品解説

ただ正直に言うと、頭ではわかっていても私はこれを信じることができなかった。
私の信仰はからし種よりも小さいことをわかっている。けれども神様は
「いいよ。もしおまえがからし種の大きさで、
少しでも私を信頼するなら、全てをおまえのために成すよ」と言う。
もし私たちが神の愛と喜びにとどまるなら、私たちは宗教的な行いに一切生きなくていい。

essential|作品解説

インスタグラムの原文が英語なので、日本語はまた別の文章になるかな…ていうか、長い。笑 人生に不可欠-essentialなものはなんだろうと考えた時、何が出てくるだろう?あるいは何かを失ったら本当に残念に思うこと、悲しむこととはなんだろうと考えるとき、それはあなたにとってなんでしょうか? メンタリングマネジメントと起業家育成のコンサルの仕事をしていた時も、ミニストリーで働く人たちと聖書の学びをしていた時も、多くの人が求めていたのは自分の「人生の目的」と「仕事のやりがい」を結ぶことだった。 そして私たちは「本質的に」自分が何者で、何のために生まれて生きているのかを知りたい存在だと思う。ただ人生を楽しめばいいのではなく、どう楽しめばいいのか、自分らしく喜んで生きるためにはどうすればいいか。その正解を多くの人が求めている。 このブログでも何度も言っているし、本当に私が大切にしたいことなのだけど、私たちは、自分を100%表現し、喜ぶために生きている。「表現する」というと、芸術的なことをイメージする人がいるかもしれないけれど、営業も接客も自己表現の発揮の場だと思うし、家事だってそう。(というか、実際には「存在していること」を超える程の影響力とか自己表現はないのだけれど…この話は深い。) 自分が心地いい自分で在れることを選び、生きることーーー。 一人一人が自分の大好きなことを通して輝くことで周囲の人に希望を与える存在になれることを、昔からずっと信じている。これが私の本質的で不可欠なもの-essentialで、こだわり続けてきた一種の信念だと思う。 がしかし、それに取り組み始めることや、続けることが難しいこともわかっている。 だからこそ、それを実践する人は希望を与える存在なのだと思う。 この絵のインスピレーションになった方は、世界の50ヵ国以上を旅する写真家で彼の雄大でドラマチックな写真を見た時、「やばーい!やっぱ神様ってすごい!」と思った。この世界を造られた神様は、どれほど美しく寛大にこの世界を愛されているのだろうか、と。 でも彼の話を聞いて、もっと驚いた。それは私が人生の本質として大切にしていることを彼も思い、実践し続けている話だったから。 自分の本音に気づいた時や、本当にやりたいことがある時、どれだけ純粋にそれに従って挑戦したりこれまでに大切にしてきたことと決別したりすることができるだろうか。その衝動を正直に受け入れて突き抜けて行動し続けることができるだろうか。 その情熱に従うときや、人とは違う道を歩むとき、人から反対されてもそれを続けようとする時に起きる葛藤や恐怖や孤独がある。けれども、人間の願いは最も自分らしく生きることであり、それができる時、不思議と人生は拓けていくし、会うべく人に会うようになっている。そういう人の生き方は、周りに希望を与える光だと思う。 そして私は、こういう生き方もこういう人と出会うこともまた、人生に不可欠だと信じている。というか、こういう素晴らしい方々に沢山沢山、出会わせてもらってきた人生だった。 また彼もそのような実践家で、彼の人生観と彼の勇敢で大胆で人間らしい心を映し出す、素晴らしい作品を通して、私はとても励まされた。私の大恩師である福島さんの本を読んだ時のような感覚で、「だよね!私もそう思う!」と、大きな共感と尊敬と羨望が湧き上がった。 私は人に名前の意味を聞くのが好きなのだけれど、彼と出会った後に彼と同じ名前の子どもの親戚に、私の絵本にサインが欲しいと言われて名前の意味を聞いたら、キャンドルに纏わる名前だということがわかった。そしてその時、彼の名前と彼のしていることがリンクされ、やっぱり名は体を表す、だなあと思った。 少し話がズレるけれど。。。私は、「分かち合う」ことの本質とは、減るのではなく増えると定義している。分かち合うことの真実は、ケーキではなく蝋燭であると例えている。それは誰かにあげたら減るのではなく、誰かにあげることで増え、暗闇の中にインフルエンスしながら広がっていく希望のようであると。そしてたとえケーキのように物理的に減ったとしても精神的には目には見えない喜びや、共有することの楽しさを私たちは受け取っている。 プロのアーティストでいることの素晴らしさは、自己満足、自己完結しないことだ。上記の彼の写真を見て、彼の話を聞いたときに私はとても感動して、多くの人に彼の作品を見て欲しいと純粋に思った。そうやって発した当人を越えて伝播する希望となるのは、アートの醍醐味であると信じている。それは性別も年代も人種も宗教も習慣も歴史も超えられる。 そして、誰かの心に火を灯し、一人一人がどんどん本質的に輝くことで、暗闇のあるこの世界を明るく彩る光になると信じている。 彼との出会いは、こういった私の信じてること、だけど弱くなる自信に対し、「いや間違ってないよ!ていうか、むしろそうでしょ!それが人生の本質-essential でしょ!」と確信を与えてくれた光だった。この素晴らしいサインにとても喜んで、感謝している。