個展のご案内|2026年6月1日〜7日@吉祥寺

「何者でもない自分なんかが、こんな拙い絵を描いて、何になるんだろう…。時間もかかるし、画材だって高いし。。」

弱気な自己卑下によって一度絵を描くことから遠ざかりやめてしまいましたが、「やっぱり描きたい」という思いが常に心の片隅にありました。でも描き続けていたら自分の大きな扉(人生が変わるような変化を伴う)があるような気がして、取り組むのが怖かったです。

Youtube始めました|My Youtube Channel

(English below) パンデミックの前から何人もの友人たちから「Youtubeやりなよ」「その考え方とか物事の見方を発信しなよ」と 言っていただくことが、多々ありました。 でも目立つことが嫌いな私は、やるわけないじゃーん、と思いいつも聞き流してきました。 ただ、音声配信SNS、stand.fmを通してさまざまなご縁を頂く中でもっと広くに自分の思いを伝えられるという自信と、 私は自営なので、認知されることが重要であること、そして「目立ちたくない」という思いの背景にある過去や理由を見つめたとき、 「もっと出ていかなくちゃ」と思い、そして今が「その時」だと思いました。 私は絵画の解説も文字で表現してきたので(過去のインスタグラムやブログで作品解説をしてきました) それもボイスオーバーでストーリーを解説することができれば受け手に「考えさせる/読ませる」ことをしなくていいと思いました。 stand.fmでもいい出会いが与えられてとても感謝しています。それを経て、もっと広いところに石を投げていきたいという感覚、もっと広く羽を広げたいという感覚で、 Youtubeで発信をしていきたいと思います。新しい出会いがありますように。 Before the pandemic, quite a few of my friends told me things like,“You should start a YouTube channel,”or “You should share your way of thinking and seeing the world.” But since I’ve never liked standing out,I always brushed it off, thinking, “No way, that’s not me.” Through my experience on the audio platform stand.fm, however,I’ve been blessed with many wonderful connections.That gave me the confidence that I could share my thoughts more widely. As someone who’s self-employed, I’ve also come to realizehow important visibility really is.And when I looked deeper into my resistance to “being seen,”and the past …

地球を愛し次世代を想うということ

小さな積み重ねが大きな影響を生み出す。 日本は各地で連日35度〜40度近くの日々です。冷房が欠かせません。 気温が1度違うだけで、私たちの体感温度は変わります。 20年前、クールビズという言葉が登場し、暑い夏はスーツを脱いでネクタイをしていなくてもいいよねという風潮と共に、お部屋の冷房の温度は26~28度設定にしましょうという呼びかけが政府からありました。 これは地球温暖化への対策で発せられました。 しかしたった20年で、人々は「涼しい=安心/快適」という幻想を過剰に求めるようになってしまいました。 それによって体調を崩している人がなんと多いことでしょう。本来冬に起きる、ヒートショック症状で病院へ受診する人までいるようです。 日本は地震が多いだけでなく、大雨や台風による水害(土砂崩れなども)、干ばつによる農作物の不作がこれまでも多くありました。しかし、世界中の異常気象や火災によって、地球そのものが益々瀕していること感じずにはいられません。 気温が1度違うだけで、私たちの体感温度は変わるだけでなく、地球の負担は変わるのです。 自分がその瞬間に、涼しい方が快適だからといってクーラーを1度2度下げることが、地球にとってどれだけ負担になっているかを考えたことがあるでしょうか? 昨年の夏、アメリカに行った時に、驚きと共に非常に残念に思ったことの一つは、 ものすごく大きい家々が一つ残らず、5月下旬の外が涼しい時期からノンストップで全室管理(個々の部屋で調整できないシステム)で冷房をガンガンにかけていたことでした。 「地球のことをどう考えているのかな?身体の機能が弱ってしまうことをどれだけ知っているのかな?」 と、どのお宅に行かせていただいても、興味深く思いました。 湿気大国日本において、カビ対策の重要性はよく理解しています。日本人は潔癖で食べ物関連にプラスティックを多く使っており、それも深刻な環境破壊です。 でも、目先のことしか考えず「自分が今暑いから部屋の温度を下げる」という行為が、この先、地球に住む人たちが太刀打ちできないくらい地球の温度を上げるという行為であるということを、理解してほしいのです。 暑さを我慢しろということではなく、自然体に電化製品を最低限に使って生きようということでもなく、そんなに部屋を冷やすことが、本当にいいと思ってるの?という問いを、互いにしてほしいのです。 6月7月、イタリアに行った時も40度近くの日々でしたが、カフェに行ってもレストランでもお店や工房でも冷房がガンガンに効いているという場所は非常に少なかったです。 そもそも、建物が古くエアコンの設置が難しい場所もあるのかもしれないですが、イタリアで出会った人々にエアコン事情を聞いたところ、「夏は暑いんだから無理に寒くする方が変」「イタリア人は冷房ガンガンが好きじゃない」「欧州はここまで暑くならないから、暑さ対策に弱いままなだけ」色々な意見を聞きましたが、別の欧州に住む友人たちと話したところ、日本やアメリカより遥かにecoについて普段から話されているとのことでした。 日本は湿気が多いので、プラスチックを多用したり個包装を徹底したりするのも仕方のないことと思われる傾向が強いですが、「これプラスチックの必要ある?サランラップする必要ある?」と振り返りましょう。 環境リテラシーを考えるとき、「自分だけがやっても意味がない」と思うものです。 アメリカの家に比べれば犬小屋規模の我が家が、冷房のスイッチを切ったり、1度下げることをしなくても、何も変わらないと思うかもしれません。でも「全ては意図」。 大切だと思うことを大切にしていくことの大切さを実践し呼びかけていきたいと思います。

Why I Disappeared from Instagram

This article was translated by AI. Please forgive any mistakes. Since September of last year, I’ve opened Instagram maybe three times.During that time, I felt like I had to check Instagram, even though I didn’t actually want to.

龍と私と信仰と。|「ついておいで」作品解説

(作品の全体像はwebsiteやinstagramからご覧ください。ブログの最後に本作の待受画像のプレゼント受け取り方法を記載しています) 昨年の夏から、絵を描こうと思いつつ、描けなかった。 「ちょっと待って出てくるから」と言う感覚があった。描きたいアイディアはあるのに、それより先に描くべきものがある感覚があって、 なんだろう?と思っていた。 絵の先生からは、よく「描きたい描きたくないじゃなくて、描くの。とにかくキャンバスに向かうこと」と言われてきた。だからその間、絵本の題材を描いたりもして、何度かキャンバスに向かったのだけれど、何も出てこず、描けなかった。 でもなぜか、焦らなかった。私は、ちょっと待とうと思った。 昨年の秋、大きな墨田川を見下ろす月島の超高層マンションに3ヶ月滞在していた時、父方の実家(と、先祖代々が大事にしていた神社)の近くだった場所に自転車で度々行き、思い出したことがあった。同時にアメリカからのリバースカルチャーショックと、苦痛を経た場所である東京に帰ってきたことで葛藤を覚えながら私はオーシャンスプリングス(私が昨年の夏に滞在していたところ)での日々を回想し、祈り、瞑想していた。 そしてその時というかその頃、子どもの頃からきっと龍が私と共にいたことを思い出した。 子どもの頃、なぜか龍が好きだった。 竜と龍はどう違うのかと辞書を引いたり、龍という字を書きまくったり、私の叔母(父の妹)から、「あなたが男の子だったら、お父さんは龍星(りゅうせい)という名前をつけたがっていた」と言われたことを思い出したり。 そして私の先祖がいた地域も、父のお墓も、弁財天と龍に縁深い場所であった。 私が2年前適応障害になって苦しんでいた時、これからもっと直感や感性が鋭くなっていくような気が漠然としていた。 脳機能について学びわかったのだけれど、精神疾患の人々の多くは五感が衰える。詩的ではなく、実際にこの世界がセピアになったりモノクロになる現象が起こり得る。 私は、暗くなったモノクロの世界の中で龍を感じていた。 暗闇の中に真っ白く光る美しい龍。荘厳な音楽のようでもあり、とってもいい香りを放つ存在。威厳があるのに無邪気で、繊細で優しくて、でも大胆で力強い。真剣だけど遊び心もある、そんな目には見えないエネルギー。顔は見なかったけど、生き生きしていて、喜んでいて、輝いている。 そしてこれを絵にしたいと、思った。これを描いてってことだ、と。 けれども、聖書に”りゅう”(実のところ漢字は龍ではなく、竜である)は、悪の遣いだとか描いてあるので、「クリスチャンは龍なんて描かない」「龍神は偶像であり神ではない」と言う意見も聞いてきたこともあり、描くことに抵抗があった。 でも結局のところ、私は人からどう思われるか、いや、人がどう自分を勝手に裁くのかを気にして、溢れてくるインスピレーションより、制作意欲より、自分で作り出した「幻想の誰か」に恐れ、遠慮していた。 今思うと、馬鹿らしい。芸術は全て、評価されるものだから、批判だって受けるし、誤解だってされる。誰がどう思おうと、私は純度高く私を表現することが大事なのに。 私は過去に自称スピリチュアルリーダーと言う女性に出会ったことがある。彼女は巧みに人の心を利用し、関わる人を不快にすることで不幸にしていた。今思うと彼女はいわゆる低級霊(悪霊の部類)に惑わされていたのだと思う。 けれどもそんな知識はなかったので、聖霊以外の霊は全部人間を惑わす悪いものと認識するようになっていた。そういう教えも影響していた。 でも私は自分の感性、感覚、そして霊性に蓋をしたり、感じなかったことにして嘘をつくのは、自分を傷つけ、窒息するほどの苦しみであると散々実感してきた。 無意識のうちにいつの間にか「宗教」をそうではない何かにする自分や人の愚かさを、もう味わいたくない。 私は、人はみんなサイキックだと思っている。 多かれ少なかれ、筋力があるように、いわゆる霊能力がある、と。なぜなら、誰もがスピリット、マインド、ボディを持って生まれてきているからだ。 スピリットのない人は、存在し得ない。(ゆえに、スピリチュアルを否定できないし、崇めることもできない。筋肉を否定したり崇めることもできないのと同じように。) スピリットこそが、ただニュートラルに本当の答えを知っている。その答えとは、神が愛であり、愛が私たちにも注がれているから私たちは神を慕う存在であると言うこと。 そしてこの源泉(スピリット)に繋がれば繋がるほど、本来の自分として神やこの宇宙を経験し、自分を愛することができる。 私は、唯一の神を信じている。一神教か多神教のどちらを信じるかという議論は私からすると文化について話されている議題であり、神はそんな文化的概念を凌駕する。 だから、多くの日本人が神々と崇めるスピリットの存在も素晴らしいと感じているし、それらのほとんどを悪だとは到底思えない。むしろ、日本を日本にしてきた大切な存在であり想いであり尊厳であるとみている。 そもそも、感謝よりもご利益を求め、崇め奉ることをしすぎることも、祈りよりも念を込めてすがりすぎるのも、神々の側には何の責任もない。それは人間の勝手な幻想と行いであって、神々の側からしたら、そうして欲しいだなんて思っていないだろう。 本来、Divide(区別/分離する)のもJudge(裁く)のも神の役割であって、人がするものではない。 なぜならば、神は統治/統合を願いそれを実践する存在であって、「区別」するのには特有の意志や理由がある時だけだからだ。 聖書(神)はこう言っているからといって、神の権限を人が安易に行使しようとするのは愚かである。 人はただ、神とその被造物である自然や人を知恵深く愛する者として存在しているだけなのだから。 過去の関連記事→ 信仰とは何か。 ・・・・・・・・・・・暗闇の中から白く光る龍は言った。「ついておいで」 私は咄嗟に言い訳をした。「忘れてたわけではなかったの。ただ…」 龍は笑って言った。「大丈夫、全部わかってるよ。ただ、ついておいで」 龍は、音楽のようであり、アロマのようでもある。荘厳で厳しく、繊細で優しい、澄んだエネルギー。・・・・・・・・・ 公式LINE登録で本作の\待ち受け画像をプレゼントしています/https://lin.ee/1GISmT8j

引っ越します。

ブログに時々訪問してくださる皆さま、本当にありがとうございます! 1月から音声配信をスタートしていることもあり、すっかりブログの更新がなくなってしまいました。でも!とても元気にしており、人生にはバイオリズムがあるなぁと感じています。